四国松山・内子の旅(2012・5)

未だ現役だった23年前の丁度同じ連休の頃、レンタカーで道後観光をしたが記憶は薄れてしまった。今回は飛行機とJRを利用してノンビリ家族旅行を楽しんだ。そんな旅の一コマを紹介します。

道後温泉本館

Img_0001日本最古の歴史を誇る道後温泉のシンボル。木造3層楼の本館は明治27年に建てられ、同32年に桃山時代の建築を模した日本で唯一の皇室専用浴室を設け多くの人に愛され、平成6年には温泉施設として初めて国の重要文化財に指定ミシェラン“日本ガイド”の三つ星観光施設にも指定。23年前は本館前がもっと広かったが商店街のアーケードがせり出しすぎて風情が無くなっていた。

道後温泉駅

Img_0002 道後温泉の玄関口でもあるこの駅は明治の雰囲気をそのまま残し、情緒溢れる温泉街を演出していた。”坊っちゃん列車”の始発、終着駅にもなっており駅周辺では坊っちゃんやマドンナの姿をしたボランテイアが観光案内をしたり記念写真のモデルになったり大忙しだった。凡そ1時間に1本の”坊っちゃん列車”は人気が高く、整理券を発行しているが観光客ですぐ満員になってしまった。

坊っちゃん列車

Img_0003伊予鉄道が独クラウス社から購入し明治21年から約67年間松山市民の足として活躍した。当時は石炭機関車だったので黒い煙を出していたが環境面の配慮からジーゼルに切り替え、蒸気を煙に見立てて走っていた。夏目漱石の小説”坊っちゃん”の登場人物が利用し”マッチ箱のような汽車”と表現したことから愛称となった。終着駅では手動で方向転換させるのも楽しい。

伊佐爾波神社

Img_0004 松山三代藩主松平定長が将軍に命ぜられた流鏑馬の成功の褒美として寛永7年に建立された。楼門、回廊、弊殿、本殿から成る典型的な八幡造りの社殿で、本殿の朱塗りが素晴らしかった。日本三大八幡造りの一つ と説明されていたが三大八幡は京都の石清水八幡、大分の宇佐神社、福岡の筥崎宮と記憶するが異説があるのだろうか?
松山城
Img_0005 姫路城と並び連立式天守を持つ我が国最後の完全な城郭建築。加藤嘉明が寛永7年(1602)に完成。火災や戦禍で失われた櫓など木造で復元され、江戸時代以前に建築された天守が現存する全国12城の一つで100名城に選定。海抜132mの勝山山頂の本丸までリフトで上ったが中腹の二の丸、山麓の三の丸までの下りはきつかった。

坂の上ミュージアム
Img_0006_2 平成19年 安藤忠雄設計により司馬遼太郎の小説”坂の上の雲”のフイールド・ミュージアム構想の中の中核施設。松山出身の秋山好吉、寛之兄弟と俳人・正岡子規の3人の生涯を通じて近代国家として成長していく明治日本の姿を描いた博物館だが一つの小説をテーマに博物館まで作ってしまうとは? しかし明治と云う時代を判り易く説明しており好感を持てた。
萬翆荘
Img_0007坂の上の雲ミュージアム横の高台に建つフランス式建築物は大正11年旧松山藩主の子孫久松定護の別邸愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造りで平成23年国重要文化財に指定。ツツジが満開でお洒落な建物だった。
石手寺
Img_0008_2 四国88箇所霊場の第51番札所遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説縁の寺でお遍路姿の人達が多かった。神亀5年に聖武天皇の勅願で国司越智王純が創建。楼門の金剛力士像は運慶派の作、本尊の薬師如来は行基の作と云われ国宝、重要文化財が数多くある寺だ。ミシェランガイド(観光地)日本編の一つ星でもあるそうだ。

松山から特急で25分の内子は江戸から明治時代にかけて木蝋で栄え、黄色味を帯びた独特の漆喰壁が続く街並みは多彩な漆喰彫刻や虫籠窓など工夫を凝らしており国の重要伝統的建築物保存地区に選定されている。

内子座

Img_0009_2木蝋や生糸の生産で経済的ゆとりのある時代に、芸術、芸能を愛した人々の熱意で大正5年(1916)町内の有志達が資金を出し合って建てた芝居小屋。昭和60年に建設当時の姿に修理復元された。風格ある外観、花道や回り舞台等歌舞伎劇場の設備が整っており素晴らしかった。

木蝋資料館上芳我邸

Img木蝋生産で財をなした本芳我家の筆頭分家上芳我家の屋敷で、本家同様に江戸から明治期に木蝋で栄えた商家居住施設と木蝋生産施設合わせて10棟が国の重要文化財に指定され、邸内には木蝋生産工程を紹介し豪商の暮らしぶりが再現されていた。   

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