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2007年7月

敦煌の壁画(シルクロードの旅続編)

敦煌・莫高窟には塑像2415体、壁画45000㎡に達する中国古代仏教美術の宝庫で、1989年世界遺産に選ばれ石窟内の撮影は禁じられている。窟の造営は北魏、西魏、北周、隋、唐、五代、,宋、西夏,元と10代10世紀に亘っており壁画の変遷が面白い。中国郵政電信省は”敦煌壁画”と題し1987年から6回シリーズで24片の切手と3枚のシートからなる特別切手を発行しているので、その切手から壁画の一部を紹介します。

1、鹿王本生(北魏)257窟・西側腰壁

File0007_3 慈悲深い九色の鹿王が河中に溺れる男を助けるため、却って身に危険が迫ると言う物語を描いている。邪鬼を処刑したり、善行を励ます仏の教えを説いている。

2、天宮伎楽(北魏)435窟

File0014 強烈で華麗な天宮の音楽家達の演奏姿態を描いている。

3、サッタ太子捨身飼虎(北魏)254窟・南壁

File0003_5 腹を減らした虎を見て哀れみ、サッタ太子が虎の餌食になるため、自ら崖にぶら下がった本生物語で、竹でわが身を刺し流血させて身を投げ虎を飼う瞬間の場面を強烈に描いている。法隆寺の玉虫厨子台座の右側に描かれているのでよく知られている。

4、農耕(北周)296窟・上部

File0013 是善事太子(カリアナミトラ)が旅行中に見た農耕の風景を描いている。窟上部には初期経典の教えを描いた壁画がある。

5、供養菩薩(隋)404窟

File0006_3 隋壁画の菩薩は美しくチャーミングで、素晴らしい姿が描かれている。隋時代の業績は敦煌で開花したと言える。

6、西域使節(唐)323窟・北壁

File0005_5 ”張賽出西域図”の馬上に漢の武帝、左に跪いて拝命する張賽を描いている。紀元前139年、漢の武帝の命を受けて西域大日氏(現在のアフガニスタン)に外交使節として行った。当時そこに至る道は漢の宿敵が実質支配していたので旅は危険と困難に満ちており、帰国までに13年かかった。この張賽の西域がシルクロード開拓の嚆矢となった。

7、菩薩(唐)401窟

File0004_9この300年間は経済が発展し、文化も繁栄したので莫大な数の岩窟を広大な地域に建てたが、壁画は輝きを変え力強く洗練されてきた。多くの画家は常に優美な菩薩を描きたがるが、この菩薩は100×50cmの大きさで生気に満ち、表情は穏やかで高貴である。

8、観音菩薩(初唐)57窟・南壁

File0001_7 阿弥陀仏が経典を説く場面を描いており”瀝粉堆金”の技法で飾られた”樹下説法図”の菩薩だが、細かな筆使いと豊富な色彩で描かれており、冠、宝石の首飾り、飾った数珠などは重厚な色使いと金粉で描かれている。(139×55cm)

9、飛天(唐)39窟

File0009_1 盛唐の壁画芸術は細心の描写と装飾的な美しさに富んだ高度の完成されたもので、お供の飛天が花を散りばめ、実際の人より大きく輝かしく、重厚な色使いで描かれた唐の代表的な描写スタイルである。

10、ホータン国王(五代)98窟・東壁(高さ2m)

File0010_3 11世紀の敦煌を支配したウイグル族の西夏王の供養者像が描かれている。17窟蔵経洞の謎を生んだ時代の敦煌の支配者である。丸々とした顔は愛嬌があるが、多数の従者に華蓋をささせているのは王者の風である。服に龍が描かれているのはホータン王と同じである。敦煌の地方政権が周囲の少数政権と調和した生活を特別配慮していた事を示す歴史的な証拠でもある。

11、供養菩薩(西夏)328窟・西壁

File0011_4 莫高窟南区の北端に位置する”三層楼”の第一層で、西夏の蜜改修に際し描き改めて、殆ど供養菩薩を並べて描くようになった。宝冠の装身具などには瀝粉堆金の手法を用い、華麗な趣を失っていない。

12、千手観音(元)3窟

File0012_8 この時代も幾つかの石窟を建てたが壁画は傑作であった。敦煌壁画の最後の表現を描いた代表的な部分で、莫高窟唯一の千手観音を主題とする窟で貴重である。千手観音は大悲観音とも言い、その慈悲の広大で救済力が優れていることで広く信仰を集めた。合掌する手を除いて大きい手が40本、上に挙げる両手は仏坐像を奉持し、下の4手は壷など持物を持ち、その他の手は種々の印を結ぶ。小手の958本は円形を表し、まるで光脊のようだ。手の描写は流れるような鉄線描を駆使している。

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トルコへの旅(2000・7)

7年前に訪ねたイスタンブール歴史地区、トロイの考古学地区、サフランボル市街、ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群、ヒエラポリスとパムッカレの5つの世界遺産を中心にトルコの景色を紹介します。

1、サフランボルの街

File0001_3 起伏のある丘に日本人には馴染みの木造家屋の家並みが美しく、細いミナレットを持つモスクを中心に緑の木立の中に独特のカラフルな民家が並んでいた。1階部分は斜面に対応した石造りで倉庫や家畜小屋になっており、その上に木材の骨組みを載せ、間に石や土等を詰めて壁にしていた。階上の木造部分が居住空間で男性と女性は別々の部屋だ。

 File0003_3         階下より広く作られており、家の上部が道路に張り出す格好になっていた。トルコで最も伝統的な民家で、偶々奥まった谷間にあり、国内でも珍しく近代化を逃れた集落で世界遺産に指定された。14~17世紀のオスマントルコ時代にはシルクロードの中継地として栄え、当時のキャラバンサライ(隊商宿)の跡も残っていた。

2、カッパドキアの奇岩群

 File0002_5    

キノコ形、タケノコ形、ベレー帽を被った煙突型・・・等大地からにょきにょき生えた奇岩が林立する自然造形のカッパドキアは、アナトリア中部の火山地帯で太古の火山活動によって降り積もった火山灰や溶岩が歳月かけて岩となり、更に柔らかい火山灰層だけが風雨で浸食され、硬い溶岩層が残ったもので世界有数の奇岩群と言える。岩の塔に、彼方此方穴が空いているのは岩質が柔らかいため先史時代から穴をくり抜き居住していたが、ローマ帝国の弾圧を逃れてやってきた初期キリスト教の修道士   

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達が多くの聖堂や修道所を作り、約150の教会には見事なフレスコ画が描かれていた。隠れキリシタンたちは地下都市まで作り、地下8階までの迷路のような穴倉には空気孔と排便所など実に合理的に作られていた

3、パムッカレ

File0005_4 ”綿の城”を意味するパムッカレは石灰石を含んだ山肌を流れ落ち、長い年月をかけて白い鍾乳石の棚を作りあげたもので、水の流れの浸食作用によって姿を変え続けているようで何とも幻想的な光景だが、昔は入浴も出来、棚の彼方此方を自由に散策出来たそうだが世界遺産に登録されてから至る所にロープが張られていた

4、ヒエラポリス

File0007_2 パムッカレの段丘の上に拡がる都市遺跡で、紀元前190年ベルガモン王メネス2世が建設し温泉保養地として栄えた。都市の中心にはアポロン神殿脇に洞窟があり”神聖な場所”と呼ばれ、入った者は即時死ぬと言われる程有毒ガスが噴出しており、司祭は此処でトランス状態になって神託を下したと言う。遺跡には浴場、凱旋門、円形大劇場、4世紀に建立された8角形の教会”マルチリウム”等があった。

5、トロイ遺跡

File0009 ”トロイ戦争”で語られているのは古代ギリシャの詩人ホメロスの英雄叙事詩”イリアス”の物語によるとエーゲ海の何処かにトロイと言う国があった。トロイの王妃ヘレネ奪回を巡って起こったギリシャとの戦争は10年に及んだ。終いに巨大な木馬を置いてギリシャ軍が退却するのを見てトロイ軍は勝利を祝ったが、その夜木馬に潜んだギリシャ兵の急襲で攻め落とされてしまったと・・・。伝説にすぎないと考えられていたが物語のトロイは実在したと信じ、その夢に賭けた人物がいた。シュリーマンが1871年発掘した遺跡がトロイ戦争を実証したのだ。実際の遺跡は青銅器時代から始まる各時代の都市が積み重なって第一市、第二市・・・と9層まであった。

6、イスタンブール

File0008_1 ヨーロッパから見ればオリエントの始まりで、アジアから見ればシルクロードの終点であるイスタンブールは東西双方から文化が流れ込み経済的繁栄、文化的繁栄をしたが同時に世界の覇者を狙った戦いの場でもあった。ビザンチウム、コンスタンチノーブル、イスタンブールと名を変えながらローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と1600年に亘って首都の座に君臨し続けた街でもある。長い繁栄の歴史が生んだモニュメントが

File0010_2 溢れており、世界一美しいと言われる青く美しいタイルで彩られたブルーモスク、ビザンチン時代の聖堂を改装したアヤソフイアを始め無数のモスクの尖塔は映え、幻想的なシルエットを見せていた。オスマン帝国時代のスルタンの皇居トプカプ宮殿の宝物殿も見応えのあるものだった。

                                                             

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中国シルクロードの旅(1999・7)

  以前訪れた世界遺産敦煌の莫高窟と秦の始皇帝稜を含めたシルクロード探訪の概要を紹介します。タクラマカン砂漠の暑かった事とトルフアンから柳園まで夜行列車に乗ったが中国人は窓からゴミを捨てるため列車のレールが4本あるように見えたのには驚いた。

1、西安の鐘楼

File0005_7 西安市街の中心に建つ基底部が14-16mの重厚な造りで、明代に築かれたものだが、ここを起点に東西、南北の大街が伸びており、その一つ、西門は唐の長安城の順義門と同位置にありシルクロードの出発点になる。

2、大雁塔

File0006_4 慈恩寺は唐の高宗が亡母文徳皇后の為に建てたものだが三蔵法師は此処に住み、インドから持ち帰った膨大なサンスクリット仏典の漢訳に取り組み、この仏典を保存するため657年に64mの大雁塔を建てたもの。

3、華清池

File0003_7 玄宗皇帝と楊貴妃の恋の舞台となったところで、共に入浴した浴室などもあり、以前はなかったセミヌード姿の楊貴妃石像が飾られているのも新しい中国の姿を見た。

、秦の始皇帝稜

File0004_11 紀元前221年、中国全土を統一した始皇帝は生存中から陵墓の築造を始めたが完成は死後だった。1974年付近の農民が井戸を掘っていて地下の”埋もれた軍団”兵馬俑を発見。始皇帝の死後の世界を守る警備兵だったといわれ、1号俑抗から武士俑6000体余りが発見されたが、夫々顔の表情の異なる身長1・8m、木造戦車を引く等身大の陶馬も24頭出土した。その後2号俑抗、3号俑抗が発見された。

5、ウイグル美人

File0011_7 トルコの影響を受けたウイグル人は情熱的な瞳と明るい表情で漢人とは全く異なるチャーミングな女性が印象的だった。勿論写真を撮らせてもらってもチップなど要求しない。

6、高昌故城

File0009_3 トルフアンから南東へ46kmの高昌故城は499年漢族の麹文秦が建てたもので640年、唐に滅ぼされるが1・5km四方の広大な城跡は西域遺跡最大。古くから“火州”と呼ばれ中国で最も暑い街と言われ天山南路の要衝で海抜マイナス154mと中国でもっとも低い盆地。気温45度位だったが北へ4km程行った漢人のアスタナー古墳群の洞窟の中は50度以上の暑さだった。

火焔山

  File0010_6 孫悟空が炎を吹いたと言う山で、夕陽に当たると炎が揺らめく蜃気楼の名所で、確かに山が燃えているように見えた。

8、カレーズ(地下水道)

File0012_5 灼熱の砂漠も10m程掘れば涼しく、地下水道網が張り巡らされており、この水で砂漠での生活をしており、このオアシスの水を利用してブドウ園を作りワインを生産しており”柳園ワイン”は中国でも有名だとか。水を汲みにきたウイグルの女性が美しかった。

9、敦煌の莫高窟

File0007_5 インドから中央アジアを経て中国に入った仏教は敦煌で花開いた。石窟寺院の造営もインドに習ったもので、3~4世紀に開削が始まり南北時代から唐時代にかけて最盛期だった。莫高窟は長さ1・6km、高さ50mに及ぶ上下3層から4層に築かれた蜂の巣のように見える石窟群で、今残 っているのは492窟、内部には仏教を主題とする壁画が描かれ2000体余りの塑像File0001_9 が安置されているので千仏洞とも呼ばれる。唐時代に最盛期を迎え、唐滅亡後西夏の支配を受け、西夏がモンゴルに滅ぼされると石窟も忘れ去られた。1900年代17窟で大量の古写本、仏画像が発見され敦煌文書として世界的に話題となり世界遺産に指定された。シルクロードのオアシス都市敦煌はタクラマカン砂漠か天山山脈ルートを通る西域の隊商が最初に到達する都市で中国の文化や物資を西域に送り出す玄関口だったので栄えた。

10、鳴沙山

File0002_7 敦煌の市内から10分程にある南北20kmに連なる砂山の北麓に直径約200mの三日月の月冴泉があり、楊貴妃がこの水で顔を洗ったと伝えられる透明な水が湧き続けるオアシスがあった。この向こうの砂山を上るのに苦労したが、登りやすいルートを作って中国人がチャッカリとチップを取っていた。

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カナデアンロッキーの旅(2007・6)

27年ぶりの訪問になるがロッキーに絞って2300kmを走破した1883年バンフまで鉄道が延び温泉が発見されリゾート地となったが世界遺産である北からジャスパー、バンフ、ヨーホーの3つの国立公園とマウントロブソン州立公園を回ったがヘラジカ、ビッグホーン、グリズリーなどの野生動物とも遭遇しまだまだ自然のままだった。

、マウント・ロブソン(3954m)

File0010 カナデアンロッキーの最高峰でB・C州立公園にある。山頂は常に雲に覆われており、全景を見れることは少ないようだ。1913年まで未踏峰だったそうで天候も良くラッキーだった。

2、エメラルド・レイクFile0007

ヨーホー(先住民語で”素晴らしい”の意味)国立公園にあり、氷河中に含まれる堆積物が湖に流れ込み、光に反射して湖面がエメラルド色に見える。湖面1周5km程なので散策したが黄色のカタクリの花が咲き乱れていた。

3、レ-ク・ルイーズ

File0011_1 カナデアンロッキーのほぼ中央に位置し”ロッキーの宝石”と称される。世界10大絶景の一つで、湖の正面にヴイクトリア山と氷河が立ちはだかり湖面に対象に写る朝焼けが絶景とか?

4、コロンビア大氷河

File0012_1 バンフとジャスパの間にあり、総面積320平方キロで北極圏以外では世界最大の大氷原だが、氷上車に乗ってアサバスカ氷河に立った。スノーマーチと呼ばれる特製巨大タイヤ装着のバスを利用したが意外に暖かかった.氷原は年間25m程移動しているとのこと。

5、モーレン・レイク

File0006_1 レイクルーズから南へ12kmの所にあり旧カナダ$20紙幣の裏模様に描かれている景色がこのポイントだが急な登りだった。不思議な青色の湖面が印象的だった。

6、マウント・カスケード 

File0005_2 バンフ・ナショナル公園の管理事務所からバンフ目抜き通りを通して臨んだマウント・カスケード。

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