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2007年10月

フロリダ旅行(2006・10)

フロリダは10年振り3度目の訪問だがヤッパリ楽しいところだ。紺碧の空に白い建物が似合い、人々は陽気でフレンドリーだ。デズニーワールドでは10年前には無かったアニマル・キングダム、プレージャー・アイランド、ブリザード・ビーチやベルツ・フアクトリー・アウトレット・モール等新しいポイントが沢山誕生しておりアメリカ人の貪欲な遊び心に脱帽だ。

1、デズニー・グランド・フロリデアン・ビーチ&リゾート

File0009 10年前に泊まり大変気に入り、今回は6泊世話になったホテルだが、ウオルト・デズニー・ワールド内で最も格調の高いホテルと言われ、赤い屋根のビクトリア調建築は気品に溢れ、白を基調とした吹き抜けロビーは素晴らしくマジック・キングダムへはモノレールで隣の駅、他のテーマパークへはバスで直行とはご機嫌だった。

2、デズニーワールド・マジックキングダム

File0007 丁度10年前訪ねた時が25周年記念年で素晴らしいデコレーションだったのでその時の写真を紹介する。施設内容は東京やカリフオルニアのデズニーランドとほぼ同じだがレイアウトが広々としており、オリジナルアトラクションが10か所以上あり最も充実していると思う。デズニーダラーが発行されておりウオルトデズニーワールド内で使える金券だがアウトレットモールへ行く時のタクシーで使おうとしたら断わられた。 

3、エプコット・センター

File0008 EPCOTとは”実験的未来社会”の意味でヒューチュア・ワールドとワールド・ショウケースの二つに分かれ、ヒューチャーワールドは最新のハイテクを駆使したパビリオンで過去から現在、そして未来の文明の世界を見学する。ワールド・ショウケースは数時間で回る世界一周旅行のようなもので日本は五重塔を紹介していた。

4、MGMスタジオ

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アニメの大御所デズニーとハリウッドの重鎮MGM映画が共同で作ったムービ・パークで最新のアトラクションが詰まっていた。此処では実際にテレビや映画の制作も行っているので本物の撮影の裏側も覗け、インデイジョーンのスタント・スペクタ・キュラ・アトラクションが面白かった。トラムに乗って体験するスタジオ・バックロット・ツアーも面白かった。

5、アニマル・キングダム

File0005 動物をテーマにしたテーマ・パークでキリマンジェロ・サフアリーはジープに揺られて荒野を回る本格的なサフアリ・ツアーでバブバブの木など実際にアフリカから持ち込んだ由。10年前にはなかったテーマ・パークだ。

6、ダウンタウン・デズニー・マーケット・プレイス

  File0006_220軒のショップやレストランが並ぶエリアで19時からオープンするダウンタウン・デズニー・プレイジャー・アイランドは音楽やダンスが楽しめるデイスコやナイトクラブ、レストランが集合するスポットだが余り面白くなかった。

7、サザンテスト・ポイント・キーウエスト

File0004_2 アメリカ本土の最南端を示すマーカーだが、近くに最南端の家と言うコンク・ハウス(キーウエスト風の家)があったが個人宅なので入れなかった。此処からの夕日は素晴らしく、サンセットを背景にした綱渡り、パントマイム、豪腕などのパフオマンスを楽しみながらのマルガリータは格別だった。

8、ヘミング・ウエイの家

File0001 ”パパ”と呼ばれ多くの人から敬愛されたアーネスト・ヘミング・ウエイが晩年を過ごした家で、ノーベル賞授賞作の”老人と海””海流の中の島々”など著作の中の7割がこの家の書斎から誕生した。1850年代建設のスペイン・コロニアル調の建物内部には自筆原稿やアフリカら持ち帰った調度類が納められ、庭には彼が飼っていたネコの子孫たちが寝そべっていた。

9、ニューオリンズ

File0003_2 30年前初めて訪れた時は丁度マデイグラ(謝肉祭の最終日)期間で興奮してパレードを楽しんだ事を思い出す。郊外にはプランテーション華やかな頃、建造されたコロニアル風の豪邸が美しい並木道に建ち並びロヨラ大学のキャンパスや植物園などがある静かな環境だ。

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一方ダウンタウンはスペイン統治時代の鉄製レース細工のバルコニーのある家並みのバーから流れるデキシーランド・ジャズに感激したが、今ではフレンチ・クオータもごみごみし、赤レンガ倉庫街も寂れており、旧倉庫街跡に建ったショッピング・リバー・ウオークが賑わっていた。しかしポンタル・アパート街を闊歩する観光馬車の似合う街だった。

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スイスの旅(1999・10)

世界遺産ベルンを含めたスイス全域を巡ったのは8年前になる。当初夏山トレッキングを予定していたがメンバーが集まらず、2か月遅れの観光旅行になったが、その時の写真を紹介します。

1、ツエルマット

File0001 真っ赤な車体が印象的なグレーシア・エキスプレスで3時間程登った標高1620mの街で、アルピニスト憧れのマッターホルンの登山基地として賑わい、木造りの建物の窓辺は花で彩られていた。街は自然保護の為、馬車か電気自動車しか走れない。

2、コルナグラート

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ツエルマットからマッタホルンを遠巻きにしながら登山列車で急こう配を43分上った3136mの駅に着くと珍客が出迎えてくれた。周りは既にアイスバーンになっておりトレッキングは無理だった。正面には4478mのマッタホルンが聳えており

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南西稜36度、北壁56度とピラミッドより鋭い姿に”魔の山”として誰も近づけなかった。1865年モンテローザ初登攀者のハドソンを含めた7人のグループが初登頂したが、その時ハドソン外3名が墜落死するアクシデントがあったことでも有名。

3、グリュイエール城

File0005_2        レマン湖山岳部にある城で、11世紀から500年以上栄えたグリュイエール伯の居城でグリュイエールチーズの故郷で有名。列車が近づくとなだらかな緑の平原の中央の小高い丘の上に聳えていた。城の中はムルテンの戦いの戦利品などが展示されていた。

4、シオン城

 File0006        モントールから東へ5kmレマン湖に浮かぶこの城を一躍有名にしたのは1816年此処を訪れた情熱の詩人バイロンの叙事詩”シオンの囚人”による。かって地下牢として使われていた7番の部屋を見学したが、その中の5番目の柱にボニブアールが繋がれていたそうだ。この柱に感じ入ったバイロンが3番目の柱に”BAIRON"と落書きしてあった。

5、ベルンの街

 File0004        地名の由来は領主が狩りで最初に捕らえた動物が熊(ドイツ語でベール)だった事に由来する。スイス連邦の首都でアーレ河にU字に延びる旧市街に緑の公園(訪問時は紅葉)が彩り”ヨーロッパで最も美しい緑と花の街”として世界遺産に登録された。石畳にはモニュメントである11基の噴水が夫々ユニークなエピソードをもっている。”バブパイプ吹きの噴水””アンナ・ザイテの噴水””射撃手の噴水””子供喰いの噴水””ツエ・リンゲンの噴水””サムソンの噴水”・・・。

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ベルン大聖堂は1421年に建設が始まったが約100mの尖塔が完成したのは500年後の1893年。正面入り口にはエルバルト・キュンクの彫刻”最後の審判”があり、内部には15世紀ルネサンス様式のステンドグラスが素晴らしかった。尖塔の展望台へは250段の急な螺旋階段を上ったが眺望は素晴らしかった。

6、フリブールの街

File0008 1157年スイスの土着貴族ツエーリンゲン家によって作られた街でゴシック建物が並ぶ旧市街の中で一際目につくのがサン・ニコライ大聖堂で、1183年~1490年に建てられたもので入口のレリーフ内部に描かれた最後の審判の彩色彫刻が素晴らしかった。

7、ジュネーブの街

File0011 改札口がないのでホテル・モントレーの裏から直接ホームに入り列車に飛び乗ったがチケットがない。ドイツ語の車内アナウンスでは判らないので困っていたら10分程して英語の喋れる車掌がきてヤレヤレだった。旧武器庫、宗教改革記念碑、

 File0009       国連本部、英国公園の花時計などを散策したが、サン・ピエール寺院は素晴らしかった。12~13世紀にかけて建設されその後改造によってロマネスクとゴシック様式を併せ持つ造りになった。1536~64年には宗教改革者カルヴアンが此処で説教した由。北側の塔は152段の階段を上ると市街が一望できた。

                         

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タイ・ラオスの旅(2002・10)

タイ旅行は3度目だが、今回は10日間かけて東北部の遺跡巡りをしたがバンコクとは異なる素朴な触れ合いが楽しかった。ノーンカーイから友好橋でメコン川を渡りラオスのビエンチャンに立ち寄ったが、US$40の入国税を取られ入国手続きに2時間以上もかかるサボタージュの役人達に腹立たしさを覚えたが、世界最貧国の一と言われ当時産業は殆んどなく高床式家屋の下に家畜が寝そべり、山間を切り崩した畑に野菜を栽培し自給自足の生活をしていたが子供たちの笑顔だけが印象的だった

タイ

1、ワット・サラロイ

File0006 コラート旧市街の東400m程の所にあり、1997年建造の西欧式と中国式がミックスしたモダンな寺院で、コラートの英雄タオ・スラナリの遺骨が安置されている。火葬場があり寺院の周囲を墓石で囲んだ庶民的な寺院で、朝のひと時を修業僧達が新聞を読んだり煙草をふかしたりノンビリ自分の時間を楽しんでいた。

2、ピマーイ遺跡

File0007 タイのアンコールワットと称され、アンコールワットより数年前に建てられたクメール様式の建物で、ヒンドウ教と仏教を祀る聖地として12世紀に建てられた。

3、パノム・ルン遺跡

File0005 アンコールワットとピマーイを結びつける大遺跡で、石を積み上げて造ったものだが、均整のとれた美しい姿でヒンドウ教とシバの神等のレリーフと共に貴重なクメール文化の遺跡であった。小高い山の上にあるので、周囲の見晴らしがよく、東南方向にはタイの農村風景が、遥か向こうにはカンボジアの山々が連なっていた。

4、バーンチャン遺跡

File0009ウドンタニにある世界遺産で東南アジアの歴史上重要な先史時代の遺跡だそうで、1961年ハーバード大学の学生が偶然素焼の工芸品を発見したのが切っ掛けだった。幾何学模様が描かれた土器は紀元前3000~2000年頃と考えられバーンチャン彩文土器と呼ばれる。この遺跡が発見されなかったら静かな、何もない寒村風景だ。

5,スコタイ遺跡

1220年頃タイ族がカンボジアのクメール族を打ち破り、タイ族による歴史上初の王朝が誕生した。スコタイ王朝は第3代ラムカムヘン王の時に全盛期を迎えタイ文明が開花した。クメール文字を改良してタイ文字を作り上げ、スリランカから上座部仏教を取り入れて仏教美術を作り上げるなど文化、芸術に力を入れた。しかし寺院建設などによる財政負担増などで人々の生活は疲弊し、国力は次第に衰退し、1470年南方のアユタヤ朝の属国となりその幕を閉じたと言われる。タイ政府とユネスコの協力で総面積45万平方キロの公園として保存し、世界遺産に登録されている。

File0008_2ワット・マハタート

代々の王族によって 擁護され続けてきたスコタイで最も重要なワット。城壁内の中央に位置しており185の仏塔や18の堂、仏陀像等がある。中央部にはスコタイ独自の建築様式であるハスのつぼみ形の巨大なチェデイ(仏塔)があり、王室寺院としてスコタイ王朝の祭儀を司ってきた

File0001 ワット・スリ・サマイ

正面から見ると中央の塔と両側の二基が並ぶロブプリ様式が特徴でヒンドウの神像が此処で発見されたことから元々ヒンドウ寺院として建てられたのではないかと言われている。

6、アユタヤ遺跡

File0011四方を川に囲まれた水の都アユタヤは1359年から約400年続いたアユタヤ王朝の首都として栄えた。17世紀ナライ王の治世には中国やペルシャ、そしてヨーロッパ諸国とも外交関係を結び国際貿易都市として栄えた。日本からも朱印船がやってきて最盛期には1500~1600人の日本人が居留していた。33人の歴代国王は神格化されその生活は贅を尽 

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したものだった。しかし1767年ビルマ軍の侵略でアユタヤは徹底的に破壊され王朝は滅亡した。その当時の四肢のない石仏などが今も残っていた。1491年に建てられたワット・プラ・スイー・サンペットにはスコタイの影響を受けたチェテイ(仏塔)が3基並んでいたが、アユタヤ王朝時代には高さ16mの黄金の仏像があったそうだがビルマ軍に破壊された。     ワット・プラ・マハタートは14世紀後半に建てられ当時は黄金      

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色に輝いていたそうだが今は面影もなく、44mもの高さを誇っていた仏塔も破壊され、木の根に挟まれた仏頭だけが当時を偲ばせていた。アユタヤの南東側にはワット・ヤイ・チャイ・モンコンには胡坐をかいた何十もの仏像が並んでいた。1357年初代ウートン王がセイロン留学を終え帰国した僧侶の為に建立したとのこと。

7、ワット・プラケオ(エメラルド寺院)

File0012 バンコクの王宮の敷地内にあり元々王室専用の寺院でタイで最も格式の高い寺院。1782年に建設された本堂は豪華だった。軒には金張りの鈴が下がり、内部には半透明のヒスイで出来た高さ66cmのエメラルド・ブッダが納められていた。寺院全体を囲む回廊にはヒンドウ神話”ラーマーヤナ物語”ノタイ版”ラーマーキエン物語”の絵が描かれていた。

8、ワット・アルン(暁の寺)

File0013 チャオプラヤ川を挟んだ反対側のトンブリ地区にある壮麗な寺院。トンブリ王朝のタクシン王が建てたもので、現在ワット・プラケオにあるエメラルド・ブッダも、かっては此処に祀られていた。高さ67mの大プラーン(塔)は朝日があたると見事に輝く。三島由紀夫の小説”暁の寺”の舞台になったことで有名で、以前は途中まで上れたが相次ぐ事故で登れなくなっていた。

ラオス

1、タートルアン

File0014ラオス全土のシンボルで高さ45mの黄金の塔だが、紀元前3世紀クメール様式の塔が有ったらしいが、中国の侵攻で破壊され1930年代に修復された。外壁の一辺が約85mの正方形で、草地が仏塔を取り囲みメインの大仏塔を無数の小仏塔が二重に取り囲んでいた。10~12月に行われる”タートリアン祭り”には全国各地から僧侶が集う

2、パトウーサイ(アーヌサワリー)

File0015 パリの凱旋門をモデルに建てられた戦没者慰霊塔で1960年代から建設が始まったが未だ完成していなかった。階段を上りテラスに立つとビエンチャンのパノラマ景色が展開すると表現すべきなのだろうが、実際はジャングルの中に大きな道路が走っているだけで、眼下の建物が大統領官邸だと言うが敷地だけは広いが簡素な建物だった。

3、ワット・ホー・パケオ

File00161563年セタテイラート王によって建立された寺院で現在は博物館。1560年ルアーンババーンからビエンチャンに遷都が行われたときエメラルド仏を安置するためたてられたが1730年 タイ侵攻で寺院は破壊されエメラルド仏も持ち去れたそうだ。

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