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2007年11月

ポルトガル旅行(2005・11)

北海道と同じ位の面積だが日本に大きく影響を及ぼした国として興味があったので10日間かけてゆっくり廻ったが、スペイン程の華やかさはないが、やたら教会が目につくのんびりした雰囲気の街で、新鮮な魚介類が豊富なのでフアドを聞きながら飲んだポートワインの味が忘れられない。フアドとはポルトガルの民衆歌謡で、リスボンの下町で生まれた音楽だが、最初は社会の底辺に居る人々が聞く音楽だったが1954年仏映画”過去を持つ愛情”でアマリア・ロドリゲスが唄った”暗いはしけ”が世界的に認められ、芸術性を高めた。哀愁を帯びた懐かしさ、悲しさ、やるせなさが入り混じったポルトガル人にしか解らない感情を唄った音楽だそうだがワインの杯数も自ずと増えたのが思い出される。

1、コインブラ大学の礼拝堂

File0001 コインブラはポルトガル第3の文化の街で(第1は政治の街リスボン、第2は経済の街ポルト)ポルトガル唯一の大学都市として全国の英才を集め、学生の黒マント着用を始め独特の校風が脈々と受け継がれている大学で1308年創立のヨーロッパでも古い大学。鉄の門、ラテン回廊、礼拝堂等も素晴らしかったが、中でも50万冊の蔵書を持つ図書館は素晴らしく、随所に木彫りの装飾を施したインテリアは豪華で重厚だったが撮影できなかったのが残念。

、ギマランエス城(世界遺産

File0002 ポルトガル誕生の地でアフオンス(初代ポルトガル国王)生誕のギマランエス城は10世紀頃建てられたもので28mの高さの塔から街が一望できた。

3、ポルト歴史地区(世界遺産

File0004ポルトガル発祥の地でポートワイン積み出し港として栄えた。写真はエッフエル塔の弟子によって1886年に造られた2階建てのドン・ルイス一世橋でドウーロ川沿いには多くのポートワイン工場があった。ポートワインとはワイン熟成の途中でブランデーを入れて熟成を止めたアルコール度20度のワインで、戦後日本んで流行った赤玉ポートワインのルーツで

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もある。イベリア半島を支配していたイスラム教徒から国土をキリスト教徒の手に戻すレコンキスタで勲功のあったフランス貴族ヘンリ・ドウ・ブルベーニュがポルトの地を譲り受け、その子エンリケが初代国王となりポルトガルとしたのだが、ポルトは良港で海外貿易の中心地として発展し、15世紀には大航海時代の拠点となった地でポルサ宮、カテドラル、グレリゴス教会、サンフランシスコ教会等素晴らしい建物が多かった。

4、バターリア修道院世界遺産

File0005 バターリアとは”戦い”を意味し、1385年王位継承問題に絡み、スペインのカステイーリア軍が攻め入った時、独立を死守せんとジョアン一世は聖母マリアに祈りを捧げ、僅かな兵で奇跡的な勝利を得た。その勝利に感謝し3年後に聖母マリア修道院を建てたもの。

5,サンタマリア修道院世界遺産

File0006 初代王アルフオンソ一世が建国に協力してもらった労に報いてアルコパッサの街のシトー派修道会に寄進したもので、歴代の王に保護され最盛期には1000人近い修道士が暮らしていた。

6、漁村の街ナザレ

File0007仏映画”過去を持つ愛情”でアマリア・ロドリゲスが”暗いはしけ”を唄った港町で、伝統的な習慣と独特の服装(男性はチェックのシャツに フイッシャマン・セータと黒い帽子、既婚の女性は7枚重ねのスカート)で有名になった。海で夫を亡くした未亡人は不幸がもたらされるのを避け一生再婚できないと言う。

7、ジェロニモス修道院世界遺産

File0008 13世紀中頃ポルトガルの首都となったリスボンは地中海と黒海を結ぶ貿易の中継地として栄え、15世紀の大航海時代には”航海王”エンリケ”の偉業を讃え、新大陸貿易繁栄の絶頂期に建てられた修道院でマヌエル様式の最高傑作と言われる。

、ヘレンの塔世界遺産

File0009 バスコダガマの偉業を讃えてリスボン港の監視塔・要塞として建造された5層構造の塔で、2階に砲台、上階は王族の居室、地下は潮の干満を利用した水牢。未知の外洋に旅立つ船乗りたちを優しく見送ってくれる母のような存在の塔だったようだ。

9、ロカ岬

File0010ユーラシア大陸最西端で、断崖の上にポルトガルの詩人カモンエスが詠んだ詩の一説”此処に地果て、海始まる”が刻まれた石碑がポツンとあるだけで地の果てを実感する岬の灯台が美しかった。

10、シントラ王宮世界遺産

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詩人バイロンが”この世のエデン”と讃えた山間の緑あふれる所にあり、かって代々の国王が離宮を置きヨーロッパの亡命貴族達が好んで住んだ景勝地で、遠目にも見える2本のとんがり帽子の煙突が特徴の建物。14世紀に夏の離宮として建てられ何度も改築されたが、アズレージョを多用した豪華な部屋が幾つもあった。

11、サンジョルジェ城

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ユリウス・カサエルの時代にローマ人の手によって要塞として建造され、その後西ゴート族、イスラム教徒、キリスト教徒の王など数百年の間に居住者は代々変わり、現在は入場料3€の公園だった。

12、カルモ教会

File001414世紀に建てられ、当時はリスボン最大と言われていたが1755年の大地震で倒壊したが、石造建築をも崩壊させる地震の威力を後世に伝えるため骨組みを残し内部は考古学博物館(3€)になっていた。

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南米旅行(2000・11)

7年前に訪ねたブラジル、アルゼンチン、ペルーの写真を紹介します。この頃は未だペルーの治安も良く、ゆっくりと旅をしたのが懐かしいです。この旅で訪問した世界遺産リマ歴史地区、クスコ市街、マチュ・ピチュ、ナスカの地上絵、イグアス国立公園の5か所になるがダラス、マイアミ経由24時間の飛行は疲れた。冬から一気に真夏の気候に変わるスケールの大きな旅行だった。

1、コルコバードの丘

File0001 1931年ブラジルの独立100周年を記念して造られたリオネジャネイロのシンボル。トロッコ列車に乗って標高716mの丘に高さ40mの巨大なキリスト像が聳え立っており、像の内部は礼拝堂になっていた。展望台からは世界3大美港の一つとされる港が広がっていたが夜景を見られなかったのが残念。

2、マラカナン競技場

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ブラジルの国民的スポーツであるサッカーで、1950年 ワールドカップ開催時に建設された世界最大といわれる競技場サッカーの神様ペレーの銅像などが飾られていたが、競技場は24mmの広角でも入りきれなかった。

3、シュラスコ

File0002ブラジル名物の肉の串焼きで、いろんな肉を好きなだけ切り取って食べるのだが前菜だけで12種類 US$10でボリュームのあるフルコースは日本人にはツーマッチ。一緒だった地元学生達の食欲には脱帽。

4、サン・セバスチャン大聖堂

File0004巨大な円錐形をした大聖堂で1976年に完成。高さ83m、直径104mの円錐形の中はがらんどうになっており、傾斜のついた壁に一直線にステンドグラスが伸びていたので中央床から撮った。

5、イグアスの滝

File0005 ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの国境が接する辺りの熱帯の森の中に突然轟音が響く。パラナ川の支流イグアス川が大きく進路を変えたところに巨大な玄武岩の崖が待っている。行き場を失った水は轟音と共に80m下に落下。先住民グアラニー族の言葉で”大きな水を意味する世界最大の滝で、地響きは25km先まで聞こえる雄大なスケールだ。

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赤土の土壌ラテライトを溶かした赤みを帯びた水は幅2・7kmに亘って大小276の滝を形成し、流れ落ちる水量は毎秒65000t、滝の最深部は大きく抉られたように屈曲しており“悪魔の喉笛”と呼ばれている。

6、アルゼンチン大統領府

File0007 ブエノス・アイレスの5月広場に面し、別名”カサ・ロサーダ(ピンクの家)”と呼ばれるイタリア風の豪華な政庁でサルミエント大統領の時に着工。1873年に建てられた郵便局など市内にあった三つの建物の一部分を組み合わせて19世紀末に完成した。

、レマリータ墓地

File0008 1822年に造られた当初は寂しいだけの場所だったが1886年市長のアルベアールが建築家ブスチアーソに依頼して改築したもので、歴代大統領や著名人が眠る高級墓地だがアルゼンジンの人は死んでからも随分金をかけるものだ。

8、カミニート(ポカ地区)

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アルゼンチンタンゴ発祥の地。ブエノスアイレス港が出来る前は、この河口の街は外国船の発着する賑やかな街だった。移民のつらい暮らしの中からタンゴの甘く官能的な旋律が生まれた。当時は低級な音楽と軽視されたが、名曲”カミニート(小径)”の舞台となった路地で、作者とその曲を記念して鮮やかにペイントされた家々が並ぶようになった。

9、クスコ

File0010 標高3400mの高地に街が築かれたのは11~12世紀頃でインカ帝国の首都だった。ケチャ語で”ヘソ”を意味し、世界の中心に位置すると考えられていた。インカを征服したスペインは街を破壊し新たな街を築き、現在の街並みは16~17世紀の植民地時代のものだが土台にはインカ時代の精巧な石組みが使われており1950年の大地震では建物は大きな被害を受けたが礎石の石組はびくともしなかったと言われる。

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このカテドラルはインカ帝国皇帝の宮殿(キサワカンチャ)の跡に建てた17世紀初頭のバロック建築で、内部は銀の主祭壇、クイ(ネズミ)を食べる最後の晩餐の絵、褐色のキリスト像があった。

10、マチュ・ピチュ

File0011 早朝クスコを出発した列車はウルバンバ川の渓谷に沿って走り、クスコより1000m低い標高2500mの駅に着いた。そこで小さなバスに乗り換え13回屈折する6km先の山道ハイラム・ビンガム道路を上りつめた先にマチュ・ピチュが見えた。1911年アメリカ・エール大学のハイラム・ビンガムに発見された。ビンガムはインカの残党の最後の都”ビルカバンバ・ビエホ(幻の都)”を探していたがマチュ・ピチュが幻の都なのかは未だ不明。

     

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インカ時代クスコから通じる道を正面に、西には市街地、東には段々畑が広がり、市街地には狭い石畳の道があり、16か所の水汲み場と汲まれた水を利用した水道が整備されていた。”インテイワタナ”と呼ばれる花崗岩の一枚岩には36cm平板状の突起をもち太陽の進行など天体観測に使われた。”三つ窓の神殿””コンドルの神殿”など見事な細工だ。

11、ナスカの地上絵

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6-10人乗りのセスナ機で不毛の大地を飛行し何度か8の字形に旋回し、スリル満点の低空飛行で300mmの望遠で撮ったが不鮮明だ。イカ谷とナスカ谷の間、約350㎢ に亘ってクモ、サル、ハチドリ、コンドル等が描かれているが、集中しているのはサンホセ台地。酸化して暗赤色になった小石を20cm幅で取り除いて描いており、20世紀前半に発見されたが起源や制作目的などは未だに不明。

12、リマ市内

File0015 1535年フランシスコ・ピザロがリマック南岸に建設したもので、以来スペインの南米植民地の中心だった。17世紀バロック調の雰囲気を色濃く残す街でセントロ地区にはカテドラル、サンフランシスコ修道院、サント・ドミンンゴ教会等が美しく、市庁舎前を観光馬車が闊歩していた。

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一昨年テロリストに襲われた旧ペルー日本大使館跡を見学したが、建物は既に撤去され、閉ざされた門扉には弾痕跡だけが残っていた。周りは閑静な住宅街でハイビスカスやジャカランタそして写真のフアイヤフラワーが咲き乱れていた。

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