« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

ロシア旅行(2002・5)

旧ソ連邦時代に仕事でモスクワは5回訪れたが6年前に25年ぶりに新生ロシアを旅した。冬のモスクワは素晴らしく特にオペラやバレー、交響楽など屋内娯楽の素晴らしかった事を思い出す。今回季節は良かったが体制崩壊後の社会についていけない人達がホームレスになって地下道に寝転がっている光景には驚いた。又クレムリンで執務を終えたプーチン元大統領に遭遇するなど楽しい場面もあった。そんな新生ロシアの写真を紹介します。

1、宇宙征服者のオベリスク

File0003 宿舎のコスモホテルから眺めた月世界着陸を記念して造られた宇宙研究者ツイオルコフスキーのモニュメントで、この近くにスターリン時代に建てた独特のデザイン(このデザインの建物はモスクワに7つある)の全ロシア展覧会センターの事務所があった。近くの地下鉄駅の地下横断路にホームレスが寝転がっており、ラッシュ時刻になると清掃係員が来るので寝床のパッキングケースを持って何処かへ逸散して行ったがソ連邦時代には見かけなかった光景だ。

2、聖ヴアシリー聖堂

File0002真中に47mの高さのポクロフスキー聖堂、その周囲を8本のネギ坊主が取り巻く。イワン皇帝がカザン・ハン国への戦勝記念に建てさせたもので国家の統一とそれを支える階層性を象徴したもの。9つのネギ坊主は夫々が一つづつロシア正教の教会になっており現在は博物館として使われているが16世紀のフレスコ画が素晴らしかった。

3、モスクワの地下宮殿

File0001写真は比較的質素な部類だが700近くあるモスクワの地下鉄駅構内には宮殿のように装飾されたものがありステンドグラス、壁画、天井画、人物像等美術館のようだ地下ホームへ降りるエスカレータの長さと速さ、轟音が凄い。ソ連邦時代臨戦時には防空壕になるため深く掘られたと言うがタイミングが合わないと巧く乗れない。

クレムリンと赤の広場世界遺産

File0005 5つの塔上に星が輝き、旧元老院の丸屋根にロシア国旗がはためいていた。城塞を意味するクレムリンは1156年ユーリー・ドゴルキーがモスクワ川左岸に木造の砦を築いたのが起源で1367年ドミートリー・ドンスコイがモンゴル軍の襲来に備えて石造の壁を建てた。現在の城壁2235m

File0004

高さ5~19m、厚さ最大6m総面積28万㎡に及ぶ。内部には皇帝の戴冠式が行われたウズベンスキー寺院、監視塔であったイワン大帝鐘楼、かってレーニンが居住していた旧元老院、帝政ロシア時代の宝物を展示した武器庫などがあった。18世紀ピヨートル大帝がペテルブルクに首都を移したので皇居としての機能は無くなったがソ連時代レーニンが居住して再び最高権力府の象徴となった。丁度大会宮殿で執務を終えたプーチン元大統領と遭遇したのも思い出になった。

5、ウズベンスキー寺院

File0006

ロシア正教の府主教会として歴代皇帝の戴冠式や総主教の任命式が行われた。1474年ウラジーミル大聖堂を模した建物が建立直後に地震で倒壊した為イワン大帝は当時先進国だったイタリアの名建築家A・フイオラ・グアンテイに再建させたもの。内部は写真のように聖人のフレスコ画で埋めつくされていた。写真はウズベンスキー寺院のほかブラゴブエシ

File0009

エンスキー大聖堂、アルハンゲリスキー大聖堂、十二使徒教会などが建ち並ぶ一角から眺めた。

6、ノヴオデヴイッチ修道院

File0008 ゴーゴリ、チエーホフ、マヤコフスキーなど多くの著名人の墓地がある修道院で多くの歴史的事件の舞台となった所でもある。16世紀にはタタール軍に対する要塞として、19世紀にはナポレオンの爆破命令を尼僧達が阻止したエピソードもある。敷地内には美しい池があり此処で泳ぐ白鳥を見てチャイコフスキーは”白鳥の湖”を書いたと言われる。

7、マトリョーシカ

File0007モスクワ大学のあるヴアラヴヨービの丘(旧レーニン丘)で露天商の飾り付けが美しかった。マトリョーシカは昔ながらのロシア人形と思われがちだが実は19世紀末日本から持ち帰った七福人入れ子人形からヒントを得て作られたもので”マトリョーシカ”はロシアの女の子の愛称だが最近では歴代大統領マトリョウシカまで現れてきた。

トロイッツエ・セルギエフ大修道院世界遺産)

File0011モスクワ 北北東70kmのセルギエフ・ポサードにある。若き日のセルギーが1345年、後に修道院となる僧庵を建てたのが始まり。彼はタタールとのクリコヴオの戦い(1380年)で精神的指導者としてロシアを勝利に導き、修道院はロシアの文化的中心となった。皇帝もしばしば訪れ若き日ピヨートル大帝が此処で政敵から身を隠したこともあった。現在も300人の修道僧が生活しており、写真は修道院から眺めた高さ89mの鐘楼。

9、チェルニコス僧院

File0010 セルギエフ・ポサードの直ぐ近くにある僧院で、旧ソ連時代相当傷めつけられ、訪れる人もなく鍵がかかった儘だった。地下の礼拝堂へ入ったが迫害から逃れるため倉庫裏から長いトンネルが掘られローソク片手に迷路のような道を彷徨ったが殆ど修復されていなかったのが印象的だった。

10、サンクトペテルブルグ歴史地区世界遺産

File0012 1991年”レニングラード”から再びロマノフ王朝時代のサンクトペルブルグの名前に戻ったが2003年が300周年に当たるそうだ。ロシアのヨーロッパ化を進めるピヨートル大帝によって1703年ペテロパブロスク要塞が建設された事に始まる。荒涼とした湿地帯にネヴア川から86の分流と運河を取り入れ42の島からなる”水の都”で北方のベニスとも呼ばれる。写真は偉業を成し遂げたピヨートル大帝の青銅の騎士像。

11、スパース・ナ・フラヴイー大聖堂(血の教会)

File0014サンクトペテルブルグにあるロシア美術館の前に聳えるカラフルな玉ねぎ型の屋根が美しい古代ロシア風の教会。上下東西南北全てが聖書を題材にした鮮やかなモザイク芸術で装飾されていた。皇帝アレクサンドル2世が1881年に暗殺された現場跡に建てられたそうで中には当時のまま石畳が保存されており入場時は床モザイク保護のため靴カバーを着用させられた。30年前ロシア美術館へ行きながらこの教会は知らなかった。 

12エカテリーナ宮殿

File0013全長310mのロシア・バロック調の華麗な宮殿で正面階段を上ると美しい天井画がある大広間に出る。大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見した部屋だ。1917年にブロイセン王がピヨートル大帝に贈った琥珀のモザイクで飾られた復元琥珀の間”は2回目だが矢張り見とれた。第2次大戦時ドイツ軍が琥珀を国外へ持ち出したまま行方知れずとのこと。

13ピヨートル大帝の夏の宮殿

File0015_2 ピヨートル大帝がヨーロッパにロシアの力を誇示するためフインランド湾をを望むこの地にベルサイユ宮殿をモデルに造らせたもので、湾に沿って階段状に配された大噴水群は180にもおよび約260のギリシャ・ローマ神話に登場する神々と英雄の彫像は見事で大滝の上に聳える宮殿が実に荘厳だった。

14エルミタージュ美術館

File0016 帝政ロシアがその財力をつぎ込み全世界から集めたコレクションは質、量共にルーブル美術館、大英博物館に劣らないと言われる。ロシア・バロック建築の傑作である冬宮(歴代皇帝の宮殿)を中心に劇場、3つの離宮から成っており豪華絢爛の建物自体が既に美術品で、歴代皇帝が集めた収集品は300万点にも上ると言われる。写真はレオナルド・ダ・ヴインチの部屋だがネヴア川側にあるこの展示室には”リッタの聖母”と”バヌアの聖母”の2代名作だけが展示されていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベネルックス紀行(2006・5)

2年前オランダ、ベルギー、ルクセンブルグへ"花と名画"を訪ねて旅行した時の画像を紹介します。アムステルダム以外は初めての訪問でしたが静かな景色が楽しめ特にルクセンブルクが素晴らしかった。

1、キューケンホフ公園

File0001 アムステルダムの北西ライデン方面にある32㌶(東京ドーム80個分)の広さの公園で15世紀頃ヤコバ・フアン・バイエルン伯爵夫人の領地で、狩りをしたりハーブを摘み取る所だったが1830年ソッハーによって庭園公園に造りかえられ1849年球根花の生産業者が球根を栽培し始めるようになり、近年3月中旬から5月中旬まで公開展示しているもので600万株ものチューリップで埋め尽くされるそうだ。この年は寒かったので、この時期でも未だ満開だったが販売用の露地栽培の花は既に刈り取られていたので広大なチューリップ絨毯は撮れなかった。

2、マウリッツハイス美術館

File0002 マウリッツとはオランダ領ブラジル総督を務めた人で、そのコレクションが中心だがアムステルダムの国立博物館と並びレンブラントの作品が多く”解剖””レンブラントの母””自画像”などの逸品が展示されており、フエルメールの至宝とも言うべき”デルフトの眺望”や写真の”真珠の耳飾りの少女”やブリューゲル親子合作の“楽園のアダムとイブ”などが展示されていた。

3、国立博物館

File0016オランダ絵画を系統的に展示したオランダ最大規模の博物館で、1808年ナポレオンの弟ルイが王宮の一部を美術館にしたのが始まりでレンブラントの絵画コレクションは有名だが丁度レンブラント・フアン・ラインの生誕400年にあたり所蔵絵画や素描画すべてが展示されていた。写真は不朽の名作”夜警”。

4、フアン・ゴッホ美術館

File0011 1973年開館。200点の絵画、500点の素描画、700点以上の書簡を含むフインセント・フアン・ゴッホの世界最大コレクションでその他アミリ・ド・トウール、ロートレック、ゴーギャン、ミレーの作品等も展示されていた。ゴッホの作品では展示方法が工夫されており彼の精神世界の変遷が解り易かった。彼が強烈な影響を受けて模写を繰り返した歌川広重を始めとする浮世絵なども展示されていた。黒川紀章設計の別館では特別展を行っていた。

5、クレラーミューラ美術館

File0014 富豪アントン・クレラーとその妻ヘレー・ミューラのコレクションを展示した美術館でオランダ最大の国立公園”デ・ホーヘ・フエルウエ”の森の中にありヴインセント・フアン・ゴッホの275点以上の絵画や素描画が展示され更にピカソ、ルノアール等の作品もあった。庭園はヨーロッパ最大級の彫刻庭園になっておりバーバラ・ヘプワース、ヘンリームーア、ロダン等の作品に囲まれていた。美術鑑賞も些か食傷気味になって中庭に出てみると風任せに泳ぐオブジェが楽しかった。

アムステルダム

File0012 この街は過去何度か訪れアンネフランクの家やマヘレの跳ね橋、ダム広場、飾り窓など散歩した事はあるが運河クルージングでアムステルダムの街を下から眺めるのは初めての経験だった。見慣れた景色も下から眺めると新たな発見があって楽しかった。

7、アムステルダム中央駅

File0010 1889年カイパースによって作られた赤煉瓦造りの荘重な駅舎で東京駅はこのネオ・ルネサンス様式の駅舎をモデルに造られたそうだ。ヨーロッパ鉄道網の中枢を担う駅で背後にロッテルダムに次ぐ国内第2のアムステルダム港が控えていた。

8、キンデルダイク村の風車世界遺産

File0003 1870年頃オランダには1万基の風車があったが蒸気、電気等のエネルギーの登場によって暫減し、現在は950基しか残っていない。ロッテルダム南東10kmのこの村には17基が現在も灌漑用として活動しており実際この水車に人も住んでいた。

9、ノートルダム大聖堂

File0004

ゴシック建築の教会としてはベネルックス最大でアントワープの街で一際目立つ高さ123mの塔を持つ大聖堂。此処は作家ヴイーダ作の”フランダースの犬”の舞台で、少年ネロが最後に一度見たいと切望したルーベンスの3連祭壇画”キリストの昇架””キリストの降架””聖母被昇天”が展示されている寺院で、写真は”キリストの昇架”。周りのステンドグラスは16~20世紀の作品だが時間帯によって異なる光が絵を照らしていた。小説フランダースの犬は日本で有名だがベルギーではさほど有名ではなかったようだ。

10聖バーフ大聖堂

File0005

12~16世紀に建てられた大寺院でロマネスク様式とゴシック様式とが混合している。地上部はゴシック様式で作られ、高い天井と豪華な装飾だった。堂内にはフアン・アイク兄弟が描いた祭壇画神秘の子羊”があり、この作品は”ベルギー7つの傑作”に数えられる不朽の名作で第6礼拝堂に納められていた。門外不出の作品で撮影できなかった。皇帝カール5世が洗礼を受けた教会としても知られるそうだ。

11、ブルージュ

File0013 縦横に走る水路に木々の緑と幾つもの橋が風情を添える”水都”で”屋根のない博物館”とも呼ばれる。街の中心にあるマルクト広場は13~15世紀ハンザ同盟に加わり商業の中心地として繁栄した街だが、内港が砂で埋まり港町としての機能を失い近代化の波に取り残された。その先には世界遺産ペギン会修道院があり、門を潜って中庭にはいると真っ白な建物が佇んでいたが入れなかった。

12、ブリュッセルのグランプラス世界遺産

File0006 ベルギーの首都で110m×70mの広場がグランプラス広場だが此処に11~12世紀市場が開かれ13世紀には政治の中心地として様々な行政機関が周辺に建てられ金箔をちりばめたバロック調のギルトハウス、市庁舎、王の家など歴史的建造物が周囲を取り囲んでおり世界遺産になっている。その一つ”王の家”は1515年カール5世の命によってブラバー公爵が建てたものだが現在は市立博物館になっており、各国から小便小僧に贈られた衣服が展示されており日本からは桃太郎の衣装が贈られていた。

13、ワーテルローのライオン像の丘

File0007 敵味方合わせて30万以上の大軍が激突したナポレオン最後の戦闘の場となった古戦場で高さ45mの巨大な塚で、頂上には敗退したナポレオン軍の大砲を集めて鋳造したライオン像が置かれていた。226段の階段を上り塚の上に立つと古戦場が一望でき毎年100万人の観光客が訪れるという。

14、ヴエーヴ城(ワロン地方)

File0008べルギー南東に広がる高原地帯で国土の3分の1を占めるが森、丘陵、谷、洞窟、鍾乳洞、牧草地など変化に富んだ景色が続く景勝地で ムース川と支流サンブル川が合流する地に堅固な城塞が築かれたナミュールの街はシーザの”ガリア戦記”にも記されている。現在は”ムース川の真珠”と呼ばれる静かな街だが、かっては戦略上の要地にあった為絶えず戦禍に明け暮れていた街でもある。今はアルデンヌ古城めぐりの玄関口として古城ホテルやレストランとして賑わっていた。写真は訪れた古城の一つヴエーヴ城。

15、ルクセンブルグ旧市街世界遺産

File0009 ローマ時代の古城が建て直され城塞を”ルシリンブル(小さな城)”と呼んだのが国名の由来で、断崖の上にあり天然の城塞となっていたが14世紀頃長大な城壁が巡らされ、堅固な城塞都市となった。ナポレオンが”ヨーロッパの骨董品”と呼んだそうだが世界で8番目の小国で千葉県の半分位の面積に人口37万人が住んでいる素晴らしい街だった。写真はノートルダム大聖堂現大公のジャンとベルギーのジョセフイーヌ女王の結婚式が行われところ。旧市街と新市街を結ぶ長さ84mのアドルフ橋からのベトリウス渓谷の眺望がよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »