« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月

アメリカ・グランドサークルの旅(2008・6)

アメリカには56の国立公園があるがユタ州とアリゾナ州にまたがるグランドサークルと呼ばれる直径460kmのエリアには7つの国立公園と10以上の国立モニュメントが集中する世界でも珍しい大自然保護区の宝庫がある。1975年以来グランドキャニオンへの日帰り旅行は過去3回経験しているがグランドサークルの旅は永年の夢だった。灼熱の太陽と激しい雷雨、そして冷たい雪によって作り出された自然の芸術だが、地球の歴史の3分の1に相当する17億年もの地層の変化が見られる地質学的にも貴重な場所と言える。そんな雄大なアメリカの原風景の写真を紹介します。

1、ザイオン国立公園

File0001_2 ザイオンとは聖書にある”神の街”を意味し、グランドキャニオンと異なり下から見上げるキャニオンで覆い被さってくるような垂直数100mの岩山が並ぶ景色に圧倒された。一般車両乗入禁止で乗降自在の無料シャトルバスで好みのポイントへ移動するのだが此処ではナローズ(川の中を歩くトレイル)や岩登りなど参加形が楽しい

2、ブライス・キャニオン国立公園

File0005グランドサークルの華”とも呼ばれ数1000本の繊細な尖塔で埋め尽くされたキャニオンで、日の光によって赤、茶、ベージュ、ピンクと様々な色合いを見せる。100万年以上経るうちに風雨雪氷の浸食で出来たもので幾重にも重なる地層をむき出しにした奇岩群は無数の仏像のようにも見え陽光を浴びて刻々と色を変えていく美しさはグランドサークルNO.1

アンテロープ・キャニオン.

File0006 ナバホ・アメリカインデイアン特別居留地にあるスロット・キャニオンの代表格で未だ発見されて20年程だがナバホ族の重要な観光資源でツアーの催行権は部族に与えられている。幅が狭いところで30cm程の細い廊下状の渓谷は1~2億年の間に暴風と洪水が砂岩を深さ30m程削り取って出来たもので、天空の細い隙間から差し込む光線が幻想的で夢中でシャッターを押したが、上から降ってくる砂塵で口は砂だらけになった。光の屈折が美しい自然が作り出した芸術だった。

モニュメントバレー

File0007 ”駅馬車””アパッチ砦”のジョンフオード監督の一連の西部劇や”バック・トウ・ザ・ヒユーチャー3”等数々の映画やCMで有名だが実は国立公園ではなくナバホ・トライバル・パークでナバホ政府が管理運営している。6221㎢の平原の中にビユート(孤立した山)とメサ(テーブル状の台地)が点在しておりナバホ・インデアンの案内するジープで各ポイントを観光した。

5、ゴールデイングス・ロッジ

File0010 モニュメント・バレーで泊まったロッジだが中々予約が取れない事で有名だが各部屋のテラスから夕日に沈むモニュメントバレーが一望できる素晴らしいロケーションだった。併設の博物館ジョン・フオード監督のロケ隊が常宿にしていた所で、バレーで撮影された新旧の映画のスチール写真やポスターの他ナバホ族の暮らしぶりが展示されていた。

6、グランド・キャニオン国立公園世界遺産)

File0011 今回で4回目の訪問になるが泊まりがけで朝日、夕日を見るのは初めてだ。アメリカだけでなく世界にある大自然の象徴ともいえるもので全長450km、深さ1・6km。コロラド川の絶え間ない流れが17億年の歳月をかけてアリゾナの大地を削り取って出来た景観は何度見ても飽きない。今回はシャトルバスを利用して色んなポイントから楽しんだ。

7、エル・トヴア・ホテル

File0012 グランド・キャニオン国立公園内には6軒の宿泊施設と渓谷の谷底に1軒あるが、今回私が泊まったのは園内最大規模の部屋数(358室)を持つヤヴア・バイ・ロッジだが、写真は1905年創業の北欧やスイスにあるシャレー風の重厚なホテルで渓谷を眺められる4室のスイートが人気で昭和天皇も泊まられた由緒あるホテルだが中々予約が取れないそうだが次回はチャレンジしたい。

8、ルート66

File0015_2 シカゴとサンタモノカを結ぶ国道大戦後のアメリカの車社会を一気に推進させるきっかけともなった道でジャズ・スタンダード”ルート66”や1960年からアメリカCBSテレビ放映のジョジ・マハリス、マーテイン・ミルナー主演の”ルート66”(日本ではNHKで放映)で日本でもポピュラーになった。グランドキャニオンから64号線を南下ウイリアムスからキングマンまで”ルート66”を走ったが、途中60年代の街並みや当時のセクシーな車が残された中高年には懐かしい青春時代を思い起こさせてくれる景色だった。

9、ラスベガス

File0014 今回の旅行の始点でもあり終点でもあるラスベガスは20年ぶり5回目の訪問になるがストリップ通りに面して個性を競い合った豪華なホテル&カジノが林立しダウンタウンは廃れていた。私が泊まったのはモンテカルロだが最豪華版はベラジオだろう。コモ湖をイメージした人造湖に美しい調べに乗って15分毎に行われる無料アトラクションの噴水ショウが素晴らしかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中欧旅行(2005・6)

3年前旧東ドイツ、チェコ、オーストリア、スロヴアキア、ハンガリーを2週間程かけて廻ってきたが旧ソ連時代、東欧の一員に組み込まれ窮屈な生活を強いられ未だに国力も弱く貧しい国の一面を見てきました。例えばベルリンからプラハへ抜ける森の中を走っていると派手な服装の女性が木々の間から出てきた。トラック野郎相手の娼婦で、村に入るとショウウインドウに水着姿の女性が腰を振っている。生きる為とはいえ痛ましい光景だった。現地ガイドによるとソ連時代は毎日が恐怖の連続で何時、何の嫌疑で秘密警察に引っ張られるか判らなかった等・・・西側には余り知らされていなかった裏面の貴重な話を聞くことができた旅だった。そんな旅の一部の写真を紹介します。

1、ブランデンブルク門

File0001_2 フリードリヒ・ヴイルヘルム2世の時代にアテネのアクロポリス神殿の前門プロピレーンを模して1792年に建てられた華麗な門でベルリンの象徴だったが東西分割によって長い間壁に隔てられていた。壁跡には10cm幅のタイルが埋め込まれ冷戦の痕跡を残していた。周りには統一後建設されたソニー・プラザを始め斬新なデザインのビルが建ち並んでいた。

2、ツエツカーリエンホフ宮殿世界遺産

File0003_2 ポツダム市北東に広がる新庭園の中にある蔦の絡んだ木骨の館でヴイルヘルム皇太子とその妃ツエツイーリーのため1917年に建てられたイギリスのカントリーハウス的な狩猟の館だった。戦後日本の運命が決定されたポツダム会談が開かれた場所で連合国側のチャーチル(英)、トルーマン(米)、スターリン(ソ連)の控室も其の侭残されており、最初に到着したのがスターリンだったので今も赤い星の花壇が残されていた

3、サンスーシ庭園と宮殿世界遺産

File0002 旧市街西側に広がる290㌶の広大な公園で統一前はソ連KGRの作戦本部があり誰も近づけなかった所で幹部の邸宅が建ち並んでいた。、その森の中にフリードリッヒ2世がベルサイユ宮殿を模して造った宮殿があり35歳から74歳で死去するまで人生の殆どをこの宮殿で過ごした由。

4ドレFile0004_2スデンの聖母教会

 旧東独では3番目に大きな街で”エルベ川のフレンツエ”と呼ばれる程美しく、何の軍事施設もない街なのに英米軍の猛攻で3万5千人の死者を出し”第2のヒロシマ”と呼ばれる。18世紀建築のドイツ最大のプロテスタント教会だが旧市街は焼け落ちたまま放置されており漸く統一後の1994年に再建が始められたが、その方法は崩れ落ちた石を可能な限り元の場所に戻す修復再生手法がとられておりドレスデン市誕生800周年の2006年完成を目指して修復作業が行われていたが世界一のモザイク模様の教会の完成姿を見たいものだ。

5、ツヴインガ宮殿

File0005 ザクセン国王アウグスト強力王の時代(1709-28)に建てられたバロック様式の宮殿で戦後20年かけて復興したドレスデンのシンボル的存在で、中庭が美しく、また宮殿内の陶磁器博物館はマイセン陶器のコレクションのみならずザクセン王が世界中から集めた陶磁器が展示されておりその豪華さに圧倒された。

6、プラハ歴史地区(世界遺産

File0009スラブ民族がヴルタヴア河の辺りに集落を作ったのが6世紀頃で8世紀にはプラハ城の基礎が造られ14世紀にボヘミア(チェコ)王のカレル一世から神聖ローマ帝国皇帝となりカール4世と名乗り此処を首都とした。カレル大学、カレル橋、旧市庁舎、テイーン教会など歴史的建造物が建ち並ぶ美しい街だった。

チェFile0007スキ・クロムロフ歴史地区世界遺産

ボヘミアのシェナ”とも呼ばれ13世紀ヴルタヴア河がS字に蛇行する地にボヘミアの大地主ヴイーテフ家が城を建設したのが起源で街はチェスキ・プロムロフ城と旧市街に分かれる美しい街。画家エゴン・ミーレが住み街並みの絵を描いた縁の街でもある

8、ザルツブルグ市内世界遺産

File0008ドイツとの国境近くにある都市で塩の産地として栄え、モーツアルトの生誕地で毎年行われるモーツアルトを記念したザルツブルグ音楽祭は有名だが街にはバロック様式やルネサンス様式の華麗な建造物が多く”北のローマ”と呼ばれるそうだ。写真は”サウンド・オブ・ミュージック”のドレミの歌の場面の舞台となったミラベル庭園でバラが咲き誇っており、遠くにホーエン・ザルツブルグ城が霞んでいた

ハルシュタット湖畔世界遺産

File0012 ザルツブルグとウイーンを結ぶアウトバーンの南に広がる森と湖に囲まれたザルツマグート全域には大小76の湖が点在し中世から岩塩の産地として栄え”サウンド・オブ・ミュージック”の舞台にもなった。とんがり屋根の教会を中心に山際に家々が軒を連ねる美しい湖畔でザンクト・ボルフガングはモーツアルトの母の故郷だが静かな湖畔だった。

10、シェンブル宮殿世界遺産

File0010

  2001年12月に訪れた時は雪と氷に覆われた殺風景な景色だったが今回はやはりハプスブルク家の夏の離宮として建てられただけあってバラが満開で見事だった。ベルサユ宮殿を目指して建てられモーツアルトがマリア・テレジアにピアノ演奏を披露した”鏡の間”等150室ほどの豪華な部屋があるらしいが30部屋程度しか公開してなかったが素晴らしい。

11ベルヴエデーレ宮殿 

File0011 上宮 と下宮に分かれたバロック様式の豪華な宮殿でトルコ軍がウイーンに攻め込んだ時にトルコ撃退の総司令官として活躍した英雄プリンツ・オイジン公の夏の離宮として18世紀初頭に建てられた。上宮はオーストリア・ギャラリー、下宮は中世のバロック美術館として使われていた。

12、ウイーンの森 

File0013ワルツ王ヨハンシュトラウスの名曲”ウイーンの森の物語”で有名になったが鬱蒼とした緑に覆われた森を勝手にイメージしていたが、八ケ岳高原を思わせる広々とした丘陵地に修道院の自家製ワイン工場、シューベルトの名曲”菩提樹”を作曲したヒンターブ・リュールの水車小屋や小説”泡沫の恋”の舞台になったマイヤーリング教会、写真の12世紀に建てられたハイリゲンフロイツ(聖なる十字架の意味)修道院など見どころもあったが些か期待はずれだった。

13File0015_3ラチラバ城

スロバキアの首都プラチラバス市を代表する建物で四角い建物の四隅に塔があり”ひっくり返したテーブル”と呼ばれる。18世紀にはマリア・テレジアの居城となったが文化や政治の中心がウイーンやブタペストに移り1811年には大火災が起きて荒廃し、復旧されたのは第二次大戦後である。生憎チェコの大統領が訪問していたため入場観光できなかった。

14File0014夫の砦 (世界遺産

ドナウ川対岸のペスト地区を見下ろす丘にありマーチャーシュ教会の裏手にネオ・ロマネスク様式の7つの白い塔が回廊でつながれたこの建物は1905年マーチャーシュ教会の再建を指揮したシュレク・フリジェシュが担当したものだが7つの塔は9世紀末のマジャル族の7つの部族を象徴している。またこの名称は中世、此処に城砦を築き外敵の侵入に備えていたドナウ川の漁師に因む。この近くの王宮(ブタ城)は1770年ハンガリー女王、オーストリア大公でもあったマリア・テレジアによって建てられた

15くさFile0016り橋と国会議事堂  

ブタ地区とペスト地区を結ぶドナウ川に架けられたブタペスト最大の橋でその向こうに見えるのが1867年完成の国会議事堂ハンガリーが歩んできた歴史の象徴になるような建物にしようとクラシック、ゴシック、ルネサンス、バロック等多彩な様式を組み込んでデザインされ天井画や騎士像のある中央階段等素晴らしく中央ドームに王の戴冠式に使われる王冠、錫杖、剣等が展示されていた。   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »