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2008年7月

トルコの旅(2000・7)

記録を紐解いてみると7~8月は殆ど旅行していないようだ。欧米人で混雑するサマー・バケーション・シーズンを外してシェルターに潜んでいたようだ。そこで昨年掲載したが8年前のトルコ旅行の写真の一部を差し替えて再度紹介することにしました。

、サフランボル市街世界遺産

File0001 起伏のある丘にモスクを中心に木造家屋が建ち並ぶ美しい街だ。偶々奥まった谷間にあった為近代化を逃れた街で14~17世紀オスマン・トルコ時代にはシルクロードの中継地として栄え、当時のキャラバンサライ(隊商宿)の跡も残っていた。1階部分は斜面に対応した石造りで

File0003_2 倉庫や家畜小屋になっており、その上に木の骨組みを載せ、間に木や石を詰めて壁にしていた。階上の木造部分が居住空間になったトルコで最も伝統的な民家だ。丘の上から眺めた街が美しく、坂を下っていくと一軒の民家で繊細な手編みレースを売っていた姉妹が可愛かった

2、アマスラ

File0002 余り知られていない黒海地方のチャーミングな街だ。紀元前6世紀にミレトス人によって植民地化され、当時セサムスと呼ばれ、ホメロスの”イリアス”にも登場するアステラは岬と石橋で繋がったボズテベ島から成っておりアマスラ・カレスイと呼ばれる都市城塞が残っていた。

3、アンカラで見たベリーダンス

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アンカラはトルコ共和国の首都で人口350万人のトルコ第2の街だが近代都市に様変わりしており、見るべき所も少なかったので夜を楽しんだベリーダンスを紹介したい。ベリーダンスとはベドウイン族など砂漠の民の踊りだったが今ではトルコの夜を彩る代表的なエンタテイメントと言える。エキゾチックな音楽に合わせてダイナミックに腰を振りながら踊る姿は真近で見ると迫力満点だった。動きに合わせて揺れるセクシーな衣装に魅了された。

4、ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群世界遺産

File0005 キノコ形、タケノコ形、ベレー帽を被った煙突形…等大地からにょきにょき生えた奇岩が林立する自然造形はアナトリア中部の火山地帯で太古の火山活動によって降り積もった火山灰や溶岩が歳月をかけて岩となり更に柔らかい火山灰層だけが風雨に浸食され硬い溶岩層だけが残った

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もので世界有数の奇岩群と言える。岩の塔の彼方此方に穴が空いているのは岩質が柔らかい為、先史時代から穴をくりぬき居住していたが、ローマ帝国の弾圧を逃れてやってきた初期キリスト教の修道士達が多くの聖堂や修道所を作り、約250の教会には見事なフレスコ画が描かれていた。隠れキリシタン達は地下都市まで造り、地下8階までの迷路のような穴倉には空気孔や排便所等、実に合理的に作られていた

5、カラタイ神学校のドーム(コンヤ)

File0009 コンヤが最盛期を迎えたのは11~13世紀、セルジュク朝の首都が置かれた頃で、その栄華はカラタイ博物館のタイル等初期のトルコ、イスラム芸術に偲ばれる。この建物は元々1251年セルジュク朝ケイガヴス2世の治世に、高官ジェラレデイン・カラタイが神学校として建てたものだが今はモザイク・タイルの博物館になっておりイスラムの象徴と言える青タイルやコーランの字句をあしらったタイル、花や鳥等を描いたタイル等見事なもので、これらのタイルを散りばめたドームを見上げていると吸い込まれそうだった。

6、キャラバンサライ(スルタンハーヌ)

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隊商宿の門の彫刻が見事だった。シルクロード華やかな頃は随分賑わっただろうが今はガランとした建物だけが当時を偲ばせていた。隊商は此処で3日間は無料で泊まれたそうだ。

7、ヒエラポリスとパムッカレ世界遺産

File0007 ”綿の城”を意味するパムッカレは石灰石を含んだ水が山肌を流れ落ち、永い年月をかけて白い鍾乳石の棚を作り上げたもので水の流れの浸食作用によって姿を変え続けているようで幻想的な光景だったが、以前は入浴も出来、棚の彼方此方を自由に散策出来たようだが世界遺産登録後は到る所にロープが張られていた。

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ヒエラポリスはパムッカレの段丘の上に広がる都市遺跡で、紀元前190年ベルガモン王メネス2世が建設し温泉保養地として栄えたようだ。

8、エフエス都市遺跡

File0010 紀元前11世紀にイオニア(古代ギリシャ)人によって建設されたアルテミス神殿を中心に都市国家として発展した。現存するギリシャ文明最大の遺跡で、アルテミス神殿は古代世界七不思議の一つと言われる。写真はセルヌス図書館アレキサンドリア、ベルガマと並んでギリシャの3大図書館と言われた。

9、トロイの考古学地区世界遺産

File0012”トロイ戦争”に語られているのは古代ギリシャの詩人ホメロスの英雄叙事詩”イリアス”の物語で、エーゲ海の何処かにトロイと言う国があったと言う。トロイの王妃ヘレネ奪回を巡って起こったギリシャとの戦争は10年にも及んだ。終いに巨大な木馬を置いてギリシャ軍が退却するのを見てトロイ軍は勝利を祝ったが、その夜木馬に潜んだギリシャ兵の急襲で攻め落とされてしまったと言う・・・伝説にすぎないと考えられていたが、物語のトロイは実在したと信じ、その夢に架けた男が居た。シュリーマンが1871年発掘した遺跡がトロイ戦争を実証したのだ。実際の遺跡は青銅器時代から始まる各時代の都市が積み重なって第一市、第二市・・・と九層まであり、写真は第九市の聖域で、儀式が行われた場所だそうな。

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10、イスタンブール歴史地区世界遺産

ヨーロッパから見ればオリエントの始まり、アジアから見ればシルクロードの終点であるこの地は東西双方から文化が流れ込み経済的、文化的繁栄をしたが同時に世界の覇権を狙った戦争の場でもあった。ビザンチュ、コンスタンチノーブル、イスタンブールと名を変えながらローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と1660年にわたって首都の座に君臨し続けた街でもある。長い繁栄の歴史が生んだモニュメントが溢れた街だった。

トプカプ宮殿

File0005_2 征服王メフメット2世によって15世紀に建てられ、約370年の長きにわたってオスマン・トルコ帝国の歴代スルタンが生活し、政務を執り行った所で、権力の強大さを物語る財宝の数々や優雅な生活ぶりを想わせるハレム、宮殿内の別荘キヨシヨキョ(東屋)など目を見張るものばかりだった。

アヤソフイヤ

File0006_2ビザンチン時代に キリスト教会堂として建てられ、オスマン・トルコ時代にはモスクとなった大聖堂。アヤソフイアとは”神の知恵”を意味しイスタンブールの波乱の歴史を物語る。ビザンチン芸術の傑作と言われる”デイーシス”など漆喰の下から甦った金色のモザイクが素晴らしかった。

ブルーモスク

File0007_2 アヤソフイアと対峙するように建つイスタンブールを代表する巨大モスク。正式名称はスルタン・アフメット・ジャミイと言うがモスクの内部を彩る青いイズニック・タイルの美しさで知られ”ブルーモスク”の愛称で呼ばれている。

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