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2008年8月

北海道旅行(2008・8)

連日の熱帯夜で些かグロッキー気味なので猛暑からの逃避とミーハー気分からサミット会場の洞爺と話題の旭山動物園他を巡ってきましたので番外編として北の風景の一部を紹介します。”ザ・ウインザ・ホテル洞爺”は流石に素晴らしく従業員の応対も洗練されておりルームチャージや食事代も超一流だった。せめて10日間程ゆっくり滞在出来たら命の洗濯にもなるが庶民には”勿体ない”から一泊で逃げ帰り、リーゾナブルなシェラトン札幌で北の涼感を楽しみました。すすきのの夜は13℃位でキャパクラ嬢もガウンを着て呼び込みをしていたのが印象的でした。

札幌

1、

Dsc00406 市民憲章に”私達は時計台の鐘が鳴る札幌の市民です”と謳われる札幌のシンボルだが、そもそもは北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として明治11年(1878)に建築されたもので当時から塔の四面にボストン・ハワード社製の振り子時計がはめ込まれ1世紀以上も時を刻み続けており最近修復が完了した国の重要文化財でもある。背景のビル群が邪魔になるがスッキリと化粧直しを終えた姿はやっぱり美しい。

、北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)

Dsc00410 明治21年(1888)に建てられたネオバロック様式の歴史的建造物で国の重要文化財。赤レンガ造りの外観も美しいが重厚な装飾が施された内装が好きだ。マサチュセッツ州の議事堂がモデルだが、直前アメリカから招聘されたクラーク博士は明治9年着任までマサチュセッツ州農科大学の学長だった事から彼の影響を受けたと思われる。開拓時代から残されてきたポプラの大木が茂る前庭の花壇が美しかった。

3、サッポロ・ビール園

File0003 明治23年(1890)製糖工場として建設された赤レンガ建ては1963年まで麦酒工場として使用され、1966年ビール園として誕生した所だが10年ぶりの訪問で懐かしかった。此処では勿論生ビールとジンギスカン、生ハムだ。(名物キングバイキングは\3570)隣接の2004年リニューアル・オープンのサッポロビール博物館では明治6年(1873)開拓史麦酒醸造所からの日本のビール産業史を展示していた

洞爺

1、洞爺湖

File0004 支笏・洞爺国立公園にある火山による陥没で出来た最大深度179m、周囲43kmのドーナツ型カルデラ湖で中央に4つの島があり、一番大きな大島には野生のエゾシカが生息している由。昭和新山や有珠山等の山々が聳え、洞爺湖温泉には温泉旅館がひしめく風光明媚なリゾート地だった。

2、JR洞爺駅前

Dsc00518 7月7日~9日の3日間日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、カナダ、ロシア連邦、EUの各国首脳及びアフリカ、中興国の22ケ国が集まり①世界経済②環境・気候変動③開発・アフリカ④政治問題について論議された場所だが駅前に唯一写真のような痕跡が残っている他は土産物屋や食堂の類はなく、温泉街にサミット冠の土産が売っている程度だった。

3、ザ・ウインザホテル洞爺

File0005洞爺湖と内浦湾 の間に位置する625mのポロモイ山頂に建つ11階建の建物部屋、眺望、食事、従業員の応対等流石に超一流で、プレジデンシャル・スイートのルームチャージが\1365000.隣接のゴルフ場”ウインザー・グレート・ピーク・オブ洞爺”レギュラー5861ヤード、パー71のリゾートコースで宿泊客は液晶ナビ付カートで何時でもスタート出来るシステムだが、当日は2~3組が震えながらプレーしていたのが印象的だった。

4、ミシDsc00525_2ェル・ブラス・トーヤ・ジャポン

  フランス・アヴァロン地方のオーブラック高原が発祥ミシェラン3つ星レストランで土地の野菜とチーズそして牛の角でできた柄が特徴のナイフ(ライオール製)に拘りを持つホテル最上階の眺望が素晴らしいレストランだったが仰々しい応対と手の込んだ調理が印象に残るが決して”美味かった”とは言わない。和食は3月まで京都の美山荘だったが7月から”あらしやま吉兆”が入っておりブッシュ大統領お気に入りの由だが今回我々はフランス料理を選んだ。

旭川

1、旭山動物園

Dsc00457

北海道で絶滅したオオカミこの6月誕生の”オオカミの森”に呼び戻したと言う事で長蛇の列だったが、何のことはない3匹のオオカミが昼寝をしているだけで月光の出るまで居れないので退散した。写真はレッサーパンダが昨年末オープンの吊橋を渡ったところで、珍獣らしいものは居ないが各動物の動態観察を楽しめる工夫が随所に見られ手書きの説明板も親しみが持てた。”もぐもぐタイム”が狙い目だ

2、富良野、美瑛

File0001 曽田香料の創始者、曽田政治が昭和12年(1937)フランスから5kgのラベンダの種を輸入し栽培に最適な北海道で栽培を奨励したのが嚆矢で、開拓史家の長男だった富田忠雄が21歳の時ラベンダに出会い最盛期には300kgのオイルを生産していたが40年代後半の輸入自由化で安値品に押され栽培断念を考えていた昭和50年国鉄のカレンダーに使われた”フアーム富田”のラベンダー畑の写真が大ブレークし富良野が再生した。十勝連峰の麓に広がる赤、黄、緑の色鮮やかな”パッチワーク畑”は連作による病害を避けるため栽培野菜種を変えたのが始まりだとか。

小樽

1、小樽運河

Dsc00557 全長1140mの運河は元々大正12年(1923)ハシケと呼ばれる小型船が港に停泊している本船からの貨物運搬の為に造られたもので夜には67基のガス燈が灯される小樽を代表する景観だがやはり冬の景色が好きだ。観光客でごった返すスポットになってしまった。

2、明治の建物

Dsc00585 明治維新を迎えた小樽は開拓史が置かれた札幌建設の資材運搬基地として、又石狩炭田の石炭積み出港として発展し、そして日露戦争、第二次世界大戦後の好景気に後押しされ多くの金融機関や商社が進出し、近代的な意匠を凝らした重厚な石造りの建物が建ち並び北のウオール街の誕生とも言われた。そんな明治の古き良き街を思い出させてくれる景色だ。

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北欧の旅(2007・8)

今月も更新記事のネタがないので昨年行った北欧4カ国の旅の一部写真を入れ替えて北欧の景色を再度紹介します。ヘルシンキ、オスロ、コペンハーゲン、ストックホルム等の都会は27℃位だったがフイヨルド地区は天候が良くなかった事もあり13℃位で、セータやフリースを着込んでいたのが懐かしい。海鮮料理は新鮮で美味かったがニシンの酢漬け、ザリガニ、トナカイの肉は美味いとは言えない。ユーロ高と相まって物価高には驚いた。日本の2~3倍の感覚で、特にノルウエイは高く感じた。最低時給が\2500でも社会保険や税金で半分位取られるのでノルウエイで働きスウエーデンで暮らす人も多かった。教育費、医療費、老人介護費なのは無料なので貧しい人達は生活し易いが高給取りは不満なようで、高負担、高福祉社会の在り方を考えさせられた旅でもあった

デンマーク

1、クロンボー城世界遺産

File0006 コペンハーゲンの在る北シェラン島はデンマーク王家縁の古城が点在しておりフレデリクスポー城、フリーデンスボー宮殿なども巡ったが、写真の城は15世紀に船の通行税徴収の為に建設され、スエーデンとの度重なる戦争や火災で姿を変えたが、シェイクスピアの戯曲”ハムレット”の舞台になった事で知られる。

2、人形の像

File0007 アンデルセンの悲しい物語を思い起こさせる高さ80cmの像で1913年彫刻家エドワード・エッセンによって作られた。当時王立劇場でバレエ”人形姫”が上演されており、それを見たカールスバーグ・ビール会社2代目社長カール・ヤコブセンがこの像の制作を思い立った。モデルは王立劇場のプリマドンナで、それが縁で後に彫刻家の夫人になった。

、ニューハウン

File0005 運河に沿ってカラフルな木造家屋が並ぶコペンハーゲンを象徴する景観だが、かって長い航海を終えた船乗りが羽を伸ばす居酒屋街として賑わいを見せた街だ。現在はレストラン街として外にテラス席が出てビール客で賑わっていたがアンデルセンも愛した街で、この界隈に3回居を構えたそうだ。

ノールウエイ

1、リレハンメル

File0003 南北に細長い湖ミヨーサの最北端にある人口約23000人の街でオスロから174km。歴史は浅く1827年ノルウエイ最初の内陸の商業都市として認められた。ノルウエイは海岸線が長く内陸部では街が発展しなかったがリレハンメルはミヨーサ湖を行き来する船のお蔭で発展した。1974年開催のリレハンメル冬季オリンピック開催地で、オリンピックの名残を感じる施設やモニュメントが点在しており丁度グラススキーのジャンプ練習をしていた。

2、フイヨルド

File0002

FJORDとはノールウエイ語で内陸部へ深く切り込んだ湾と言う意味で氷河による侵食で作られたU字、V字型の谷に海水が浸入して形成された入江のことで両岸を急な谷壁に挟まれ細長く直線的に伸びることが多い。氷河に覆われていた約100万年前の北欧は厚さ1000mを超える氷河が動きながらその重みで河底を削りナイフで切り取ったような深い谷を作り上げた。ノールウエイの氷河は首都オスロから日帰りができる所など無数にあるが代表的なのがゲイランゲルフイヨルド、ゾグネフイヨルド、ハダンゲルフイヨルド、リーセフイヨルドの4大フイヨルドだが今回はそのうちの二つをバス、豪華船、フロム鉄道でその美しさを堪能できた。

3、ブリッゲン(ベルゲン)(世界遺産

File0001 12~13世紀にはノールウエイの首都で、14~15世紀にはハンザ同盟の事務所が置かれ、名産干しタラの輸出で急速に発展し17世紀のハンザ同盟終結までの400年間隆盛を誇った。ベルゲンの中心地で港に面して壁のように木造家屋が並ぶ中世にタイムスリップしたような所でドイツのハンザ商人の家や事務所に使われていた。奥行きのある家屋の隙間を入って行くと迷路のようになっており隠れたショップや工房等が並んでいた。

スウエーデン

、ドロットニングホルム宮殿世界遺産

File0004 1570年頃ストックホルム郊外のメーラレン湖のローブエン島に夏の宮殿として完成。1661年焼失後フランスからベルサイユ宮殿の作庭家を呼び北欧のベルサイユ宮殿と呼ばれるバロック様式の宮殿を完成した。1981年からスエーデン王室の居城となっており昔のままの宮廷劇場と宮殿の一部が公開されていた。

2、王宮の衛兵交替

File0008 旧市街(ガムラスタン)の北側に建つ3階建ての建物で60年近くかけて1754年に完成した。イタリア・バロック、フランス・ロココ様式の建物で、代々王室の居城だったが現王室が子供の成長の為にはドロットニングホルム宮殿が良いとして移った為、現在は迎賓館として使われており主が居なくても衛兵は常駐しており丁度交替セレモニーが行われていた。

3、市庁舎

File0009 ストックホルム中央駅の西側、徒歩僅か5分の所にある市庁舎は水の都ストックホルムに相応しい優雅で厳粛な気品を漂わせてメーラレン湖畔にその姿を映していた。1911~23年にかけて建てられたナショナル・ロマン様式、北欧中世風のデザインでヴエニス宮殿の影響を受け宮殿か古城を思わせる建物だ。106mの塔、赤レンガの質感、ゴシック風の窓、ビザンチンスタイルの輝かしい金色の飾り等が調和した建物で毎年12月10日に行われるノーベル賞受賞祝賀晩餐会の会場でもあり、黄金の間は1900万枚の金箔をモザイクで飾った壁面は豪華絢爛でノーベル賞受賞パーテイの舞踏会広場として使われるそうだ。

フインランド

1、トウルク大聖堂

File0010  トウルクはフインランド第3の都市で西の外れにありスウエーデンに最も接近している。中世の初期スウエーデンがフインランドへ進出し始めるとこの地に城や教会を建てフインランド支配の為の基地とした街で古きスエーデンを感じさせる。1812年ロシアの皇帝アレクサンドル1世がヘルシンキに遷都するまでフインランドの都として栄え首都を譲り渡した後もスエーデン文化圏の中心地だった。アウラ川の南岸にある美しい大聖堂で1300年に建てられフインランドで最も由緒ある教会。教会の歴史を詳しく展示する聖堂博物館も併設しトウルクの歴史を知る事ができる。700年が過ぎた今でも過去の遺物になることなく教会活動に現役で利用されていた。

2、ヘルシンキ大聖堂

File0011 石畳の元老院広場を見下ろすように聳える大聖堂はカルル・エンゲル設計によるものでドームを軸としたシンメトリカルなデザインが印象的。ルーテル派本山となる教会で1852年に30年の歳月を費やして完成した。当初ドーム中央に一つあるだけだったがエンゲルの死後他の建築家の手によって小さなドームが四隅に据え付けられた。元老院広場に面した大階段も後で作られた。緑のドームと白い外壁のコントラストが美しいヘルシンキのシンボル。

3、ウズベンスキー寺院

File0012 マーケット広場から見える赤レンガ作りの北欧最大のロシア正教の教会で1860年にロシア人建築家によって建てられた。壁にはテンペラ画でキリストと12使徒が描かれている他優れた宗教芸術を見る事ができる。

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