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2008年11月

カンボジア旅行(2001・11)

7年前の今日訪れたカンボジアは暑く、そしてアンコール遺跡群以外は観光資源も乏しく貧しい農村風気が続く村だった。夜間の外出は禁止され、人の踏み込まないような荒野や山間部には未だ地雷が残っているのでガイドの案内にのみ頼る旅だった。しかしこれまで潜り抜けてきた過酷な歴史を感じさせない程、誰もが穏やかな微笑みで迎えてくれたゆっくりと流れていく時間は忘れかけていた何かを思い出させてくれる旅だったが、天候には恵まれなかった。そんな旅の写真を紹介します。

1、アンコールワット世界遺産

File0002 アンコールワットとはクメール語で“寺院のある町”と言う意味で12世紀前半にスーリアヴアルマン2世(太陽王)によって30年の歳月をかけて建立されたアンコール遺跡群最大の大伽藍で,ヒンズー教のヴイッシュ神を祀る寺院であると共に、王を神格化して祀る墳墓寺院とするため西方浄土を拝するようアンコール遺跡中唯一西向きに建てられていた。アンコール王朝が最盛期を迎えた13世紀以降、王朝は急速に衰退しそして仏教寺院となり、次第に王朝の栄華は遠く過去のものとして埋もれていった。自然損傷に加え内戦による破壊、略奪等による傷みが激しくポル・ポト政権崩壊以降国内の正常化が図られ、修復、保全作業が行われているが未だ途上にある。

2、アンコール・トム

File0001

アンコール・トムとは”大きな町”と言う意味で、現在残るアンコール・トムの城壁はジャヤバルマン7世によって12世紀に建てられたクメール王朝最初の都城でクメールが最も繁栄した時代に造営された。アンコール・ワットの北に隣接しており一辺が約3kmもある方形の宗教都市だ。周囲を濠で囲まれ内部には王宮や寺院など80を超える石造遺跡があった。その中心的存在がバイヨン寺院である。49ある尖塔の上部には観世音菩薩の四面像が刻まれていた。その数実に196.南大門は四面仏を頂く高さ23mの大門で、続く石橋の両側には大蛇で綱引きする神々と阿修羅の虚像が並んでいた。

3、バイヨン寺院

File0003 アンコール・トムの都城の中心に立つ仏蛇を祀るバイヨンはアンコール・ワットと同様に神の世界を地上に具現化したクメール独特の様式をもつ寺院。バイヨンは神々が住む神仏隆盛の聖域とされるメール山(須弥山)を模したもので、世界の中心という意味を込めて造営されたようだ。城壁はヒマラヤ、濠は大洋を表している。正面はテラスのある東側で、寺院内には高さ42mの中央本殿を取り囲むように尖塔が林立し、それらの頂部には観世音菩薩の巨大な顔が刻まれていた。

回廊周壁の彫刻

File0004 写真スールヤ・ヴアルマン2世率いるクメール軍の勇姿を描いたもので東西160m、南北140mの第一回廊にはジャヤバルマン7世が統治していた時代のクメール人の生活の様子がレリーフとして見事に残されていた。東西80m、南北70mの第2回廊には女神ヴアターや僧侶などをテーマにしたレリーフが数多く残されていた。

5、タ・プFile0006ロム

1186年ジャヤバルマン7世が母の菩提寺として建立したもので梵天の古老”を意味する。建築当時は東西1km、南北600mの敷地中央に60余りの堂塔があり、列柱回廊で縦横に結ばれていたそうだが今では70%近くが倒壊し、榕樹(スポアン)の根が大蛇のように遺跡に覆い被さっていたが修復せず時の流れに任せていた。榕樹は東南アジアに多い樹木で成長がとても速く、気根が幹や枝から地上へ伸びるため遺跡を覆い隠すような姿になるようだ。

6、ビミアナカス

File0005_2王宮の中心にあるピラミッド型の寺院。"天上の宮殿"とも呼ばれ王族の儀式の場で一般の人々は近付く事が出来なかったそうだ。赤土を固めて干した3層のラテライトの上には高さ約2mの回廊に囲まれた中央祠堂があった。

7、パンテアイ・スレイ

File0007女の砦”と言う意味のこの遺跡はアンコール・ワットの北東40kmに位置する小寺院。中央神殿の祠堂に刻まれたデヴアターの彫像は世界屈指の美術品として知られ“東洋のモナ・リザ”と称されている。回廊は風雨によって浸食で崩れ落ちそうで、屋根の破壊を防ぐため木の棒で応急措置がとられていた。

8、トーレサップ湖

File0008シェムリアップの南約10kmの所に広がる東南アジア最大の湖水上家屋で生活しながら漁業を営む人達の家だが、まるで水上に浮かぶ家屋が水害にあったような景色だった。乾季の湖の面積は約3万平方キロだが雨季には約4倍になり周辺の森林や畑は水に浸かるそうだ。

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