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2008年12月

エジプト旅行(1999・12)

アルバムを眺めながら、あれからもう10年近くが過ぎたのだと時の流れの速さに驚いた。雨漏りのエジプト航空(空調設備の結氷が溶け天井から水漏れ)に乗って灼熱の砂漠を楽しんだが旅の後半、疲れからか下痢と嘔吐に見舞われるアクシデントもあったが楽しい旅だった。又、自動小銃片手にラクダに跨った兵士に監視されながらの観光も今にして思えば良い経験になった。そんな旅行の一部を紹介します。

1、ギザのピラミッド群世界遺産

File0001 古代エジプトを代表する巨大遺跡。ピラミッドの建築技術が最も成熟した時期に建設されたクフ王(146m)、カフラー王(142m)、メンカウラー王(67m)の三大ピラミッドの美しい四角錐の形が当時のまま残っていた。  自動小銃を持った兵隊がラクダに跨って我々観光客を監視する光景に驚いた。1997年イスラム過激派による観光客乱射事件以降、観光客を警護する為だが、平和ボケの日本人には異様な光景だった。

2、シタFile0010デル世界遺産

  カイロのイスラム地区の南東モカッタムの丘に立つ城塞。アイユーブ朝を興したサラーフ・アッデイーンがヨーロッパから十字軍を阻止する為1176年に建設した。堅固な城塞と立地の良さからアイユーブ朝の後、マムルーク朝からムハンマド・アリ朝、イギリス統治時代まで城塞兼居住スペースとして使われていた。ムハンマド・アリ時代に建設されたビザンチン様式のモスクのドーム型の天井から吊るされたランプの光が美しかった。

3,スフイFile0002_3ンクス世界遺産

ピラミッドと並ぶギザのシンボル。全長57m、高さ20m古代エジプトでは沢山のスフインクスが作られたが、このスフインクスが最大にして最古のもの。胴体の部分は元々あった岩山を彫ったもので、その後石灰石で作った頭部を乗せたようだ。何千年も風雨に曝され胴体部分には雨の跡と思われる溝が何本も走っていた。夜はピラミッドとスフインクスをバックに音と光のショウを見たが灼熱の昼間を忘れさせセータが要る程だった。

4、アブ・シンベル神殿世界遺産

File0003_2 砂漠の中に突如として出現する巨大岩窟神殿。新王国時代第19王朝の紀元前1250年頃ラムセス2世が建造。太陽王と讃えられたラムセス2世は太陽に輝くヌピアの地をこよなく愛しフアラオの権力が永遠のものになるよう神殿を作り上げた。時と共に神殿は砂に埋もれ忘れ去られたが19世紀イタリア人ベルツオーニにより発見され、1960年代アスワン・ハイダム建設の為、水没の危機に曝されたが1968年ユネスコの協力で神殿を16000個に分割解体し、内陸高台へ移築したものだが圧倒される美しさだった。

5、オールド・カタラクト

File0008 1899年創業当時から数々の著名人に愛されてきたホテルでアガサ・クリステイの”ナイル殺人事件”の舞台となったホテルで、彼女が滞在し執筆した部屋”アガサクリステイ・スイート・ルーム”をボーイに頼んで見せてもらったが、什器備品など当時のままの様だ。建物はコロニアル調の中にヌビアのスタイルを取り入れたオリエンタル雰囲気で、ドーム型の天井を持つメインダイニングの”1902”やナイルの美しいテラスバー等素晴らしかったが、我々は隣接の”ニュー・カタラクト・ホテル”に泊まった。ナイル河クルージングはホテル前の港からの発着で、クルージングをしながらの楽器演奏が楽しかった。

6、ルクソール神殿世界遺産

File0004 中王国時代にはこの地に神殿が建設されたと言われており、その後新王国時代の第18王朝アメンヘテブ3世、第19王朝ラムセス2世が現存する大部分の神殿を造り上げた。この時代の神殿建設の基本である塔門、スフインクス参道、中庭、列柱室、至聖所等が美しくレイアウトされた神殿でカルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として建設されたもので、約3km離れたアメン大神殿とは参道で繋がっていた。

7、オベリスク

File0006 ルクソール神殿の堂々たる様相を持つ第一塔門は幅65m、高さ24m。その前に高さ25mのオベリスクが一本、2本の座像、1本の立像があった。オベルスクは左右2本あったが右側の1本は1833年パリに運び、1836年コンコルド広場に移された。アスワンのオベリスク採掘場跡を見学したが大きな一枚岩を削り高さ10mの脊柱を作った跡があったが驚きだ。

、カルナック神殿世界遺産

File0005

 王が神となっていた古王国時代アメン神はテーペと言う小さな地方都市の神でしかなかったが、中王国時代テーペが発展すると共に、第12王朝時代、太陽神ラーと結合を果たしアメン・ラー神となって国家最高の存在となった。その最高神の庇護に置かれた歴代の王は次々とカルナックに神殿を造営しエジプトで最大規模を誇る神殿になった。中心部となるアメン大神殿の面積は約30ha。写真の牡羊はアメン神の聖獣。 

9、ハトシェプスト女王葬祭殿

File0007 エジプトで初めての女王ハトシェプストがアメン神、父トトメス一世、そして自らのために造営した葬祭殿。褐色の切り立った崖を背景に扇形に広がる地形を利用して建立。巨大なテラスが3段あることが特徴で後にコプトの教会として使われ“北の修道院”とも呼ばれていた。TV放映から見た1997年イスラム過激派による銃乱射事件を想起させる景色で、あちこちに自動小銃片手に兵士が監視をしていた。

10、File0009家の谷世界遺産

 ”生きる都”の東岸に対し夕日が沈む西岸は、再生復活を意味する”死者の都”ネフロポリス・テーベと呼ばれ墓所として利用されてきた。トメトス一世以降歴代の王が盗掘を避けるため岩窟墓をこの地に造営したがツタンカーメン墓を除く殆どの墓が盗掘されてしまった。西岸一帯にはクルナ村と呼ばれる集落があり、近世になって盗掘を目的に集まってきた民族だが今は墓の管理で生計をたてているそうだ。   

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紅葉あちこち(2008・12)

今年は台風が無かったので紅葉が美しいとマスコミ各社が報道するのでカメラ片手に近くの紅葉ポイントを駆け巡ってきました。結果的には京都の素晴らしさを再認識した撮影旅行だった。世界遺産も含まれるので番外編として愚作の一部を紹介します。

1、酬恩File0001(一休寺)

"とんちの一休さん”で知られる一休禅師が晩年を過ごしたので一休寺の名で親しまれているが、元は妙勝寺と称し鎌倉時代の高僧、大應国師が建立したものを康正2年(1456)に再建して酬恩庵と名付けたのが一休禅師で後小松天皇の落胤と言われる。一休禅師は京都大徳寺の住職を経て88歳の大往生をこの寺で迎えた。石畳が続く参道には楓並木の紅葉が美しく、丁度京都と奈良の中間に位置するため、このシーズンは奈良から京都へ入る観光バスが田舎道に列をなす紅葉の名所である。

2、File0003生寺

奈良榛原町の室生山には古くから龍穴神が棲まい、国家的な大事には勅使が派遣されるほどの聖地とされてきた。8世紀この山に籠っていた修業僧が皇太子時代の桓武天皇の病を治したと言う故事に因んで興福寺の僧が開山したもので女人高野”としても有名だが紅葉は格別だった。

3、金剛輪寺

File0002 1200年前大仏を建立した聖武天皇と行基蕯により天平13年(741)に開山された天台の巨刹本堂は鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には秘仏本尊聖観音を始め重文指定の仏像が安置され三重塔(特龍塔)及び二天門は国宝建造物。湖東3山の真ん中の寺で近江西国33観音霊場で第15番札所。”血染めの紅葉”と呼ばれる鮮やかな紅葉が有名で写真は本堂前の紅葉を撮った。

4、上賀File0004茂神社(賀茂別雷神社)

京都の最も古い神社で古代豪族賀茂氏の氏神。下鴨神社の祭神、正依姫命の子の別雷神を祀っている。雷神であることから厄除けの信仰を集めている。社伝では678年(天武天皇7)の造営といわれる。広い境内を楢の小川が流れ1863年(文久3)に改築された本殿と権殿の他、重文の社殿が並んでいる。御手洗川に架かる橋の袂の銀杏が見事だった

5、南禅File0009

1264年(文永元)亀山天皇の離宮として造営された。後、寺に改められ足利義満の時代には京都5山よりも上に遇された名刹。歌舞伎”金門五三桐”で知られる三門は1628年(寛永5)の再建で高さ22mの楼門から石川五右衛門が”絶景かな、絶景かな”と大見得をきった舞台である。境内にある琵琶湖疏水の水路閣は古代ローマの水道橋がモデルと言われ明治以来のレンガ造りの建物はエキゾチックなムードのあるスポットだ。

6、二尊File0007

”百人一首”で名高い小倉山の東麓にあって本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため二尊院と呼ばれるが、正しくは”小倉山二尊教院華台寺”と言い明治以降天台宗に属す。嵯峨天皇(在位809~823)の勅願により慈覚大師が承知年間(834~847)に開山したと言われる。本殿は特に京都御所の紫辰殿を模して、内陣も紫辰殿のお内仏と同様に作られた。総門は豪商角倉了以が伏見城の”薬医門”を移築したもので参道は紅葉の馬場と言われ美しく、山中の時雨亭は藤原定家が百人一首を選定した所と言われ風情があった。

7、鳥居

File0005 嵯峨野地区の北西に位置し、元々室町時代に農業や林業を中心とした集落として開かれ、江戸時代になると鳥居本の奥にあり火を司る神を祀る愛宕神社への参拝客が通る参道として街道沿いに茶店や料理屋、旅館、土産物屋が集まり門前町が形成された。写真の平野屋は愛宕神社の一の鳥居前で400年前から営む鮎料理屋で朱色の鳥居と草葺きの店構えに紅葉が見事だった。

8、化野念仏寺

File0006 正しくは華西山東漸院と言い運慶作の阿弥陀如来を本尊としている。化野の地は古くから死者の埋葬地として知られ、その光景を憂いた弘法大師空海がその地に葬られた無縁仏を追悼するために開創された。境内中央には”賽の河原”と呼ばれる化野周辺から出土された約8000体の石塔や石仏が並ぶ。徒然草に”あだし野の露消ゆる時なく鳥部山の煙立ち去らで住み果つるならいならば、もののあわれもなからん”と無常の世の象徴として取り上げられている。

9、常寂光寺

File0008   文禄5年(1596)に日禎上人が隠居所としたのが始まり。土地は角倉了以の伯父栄可の寄進によるもの。小倉山を背にして建つ日蓮宗の名刹で紅葉の名所として有名。小高い丘陵にあるため嵯峨野一帯から遠く本山まで望める。朱塗りの茅葺き屋根の仁王門をくぐり急な石段を上ると本堂で、更に行くと多宝塔が微かに見える。元和6年(1620)に建てられた桃山様式の秀麗な建造物で重文。多宝塔の全貌は望めなかったが素晴らしい紅葉のグラデイションだった。

10、奈File0010良公園

近鉄奈良駅を出ると直ぐ奈良公園で興福寺、東大寺、春日大社、春日奥山原生林までを包含し、浅茅の原、ささやきの小径、あせびの森、飛火野の柔らかな芝生に鹿が集う。公園として整備されたのは明治になってからで、当初森や丘を平らにした幾何学的な西洋風人口公園が検討されたが、平城京以来の奈良に相応しくないとの意見が大勢を占め、歴史と自然が一体となった自然公園として整備されたそうだが、何処を散策しても紅葉が美しく絵になる景色だ。

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