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2009年1月

旧ソ連邦への旅(1977・1)

旧ソ連邦へは現役時代5回訪問したが今回は約30年前に訪れた厳寒のモスクワの様子を紹介します。当時中国上空を飛べなかったのでアンカレッジ経由でシベリアの上空を飛び、真っ白な大地に蛇行するオビ川が見えると間もなくシェレメチェボ空港だ。エアロフロートは割安だが気密性に問題があるのか耳が痛くなるのでJALを利用する事が多かった。1回のInvitaitionで2週間滞在出来ホテルはウクライナかロシアホテルが多かった。欧米人はインターナショナル・ホテルと分けられていた。宿泊料金はRB40~50(¥16000~20000/泊)ロシア人の約3倍の外人料金だが、1日3時間乗り放題のハイヤー・クーポンが付く。商談のない日はこのハイヤーを使って観光をするのだが英語がホテルのフロント以外は殆ど通じないので、インツーリストの小母ちゃんに頼んで行き先をロシア語で書いてもらい運転手に渡すのだ。買物は我々外国人はドルショップを利用するので種類は少ないが比較的鮮度の良い果物や肉類は入手できる。毛皮のコートなどは立派なものが並んでいた。一方市民が利用するグム百貨店等では半分腐りかけたリンゴや黒ずんだ肉類が並んでいた。こんな状態なので市民は何とかドルを得ようと、いろんな手を使ってくる。うっかり相手にするとスパイ容疑で逮捕されてしまう。日本商社に勤めているロシア人事務員(英語が必須条件)などは素晴らしい銀狐のコートを着て出勤してくる。上手にドルを入手していたのだろう。果物は近隣諸国から輸入できるが新鮮な野菜が極端に不足していた。ある時ネギをスーツケースに詰め込んで持ち込み、すき焼きパーテイをした時は駐在員に大いに喜ばれた。煎餅や海苔は事務所に山積みされているがネギの土産には感激された。この時期の寒さは半端ではない昼間は-5℃程度だが夜間は-20℃以下なのでアルコール中毒者が酔っ払って路上で寝込み凍死する者が多かったが体制崩壊後はホームレスの凍死者が多く、弱者にしわ寄せされているようだ。しかしこの時期は歴史あるロシア文化と芸術を楽しむなら絶好のシーズンだ。世界的に有名なバレーやオペラ、音楽、サーカス等は春になれば外貨稼ぎのため世界中を回るのでモスクワにはこの時期しか居ない。やはり寒い国へは寒い時期に訪れることをお勧めする。当時の日本商社のモスクワでの生活ぶりを描いた堀田善衛著”19階日本横丁”(多分三井物産モスクワ事務所がモデルだと思う)にリアルに描かれており、今読みなおしても懐かしい。そんな旅行の様子をセピア色に退色した写真を交えて紹介します。

1、レーニン廟

File0005赤の広場”の真正面にレーニンを永久保存した記念堂で、1931年に花崗岩造りの廟を完成した。最近では夏季や休日には見学者が長い列を作る事もあるようだが、当時は厳寒下でも神格化されたレーニンのミイラを一目見ようと長蛇の列で警備も厳しく3時間以上待つのは当たり前だった。

2、国立歴史博物館

File0006 ”赤の広場”に面して建つ。1872年アレクサンドル2世の命によって建てられ収納品は450万点にも及び、クレムリンの武器庫を凌ぐ。常設展示の2階は原始~中世ロシアの歴史を、3階が18世紀~ロシア革命までの歴史を展示している。当時は革命の成果を強調していたが最近の展示は政治色はさほど強くなくなった。革命後の展示はトウヴエルスカヤ通りの現代博物館に展示されている。

3、ボクロフスキー聖堂(聖ワシリー寺院

File0003

 ”赤の広場”の南側に建つ大聖堂でカザン・ハン国(モンゴル)への戦勝を記念し、イワン雷帝によって1560年に建てられた。一般には雷帝に大きな影響を与えたワシリー修道士に因み”ワシリー寺院と呼ばれる。中心のボクロフスキー聖堂を8つの聖堂が取り囲む姿は国家の統一とそれを支える階層性を象徴したもの。内部のバロック様式のイコノスタシス(聖障壁)や18世紀末に描かれた回廊の模様は見事だが、宗教を否定していた当時は玄関の扉は鎖で繋がれており内部を見る事はできず、鮮やかな色彩のネギ坊主を外から眺めるだけだった

4、ボリショイ劇場

File0007 ロシアが誇るオペラ、バレーの劇場。”ボリショイ”とは大きいと言う意味。1780年完成だが2度の火災に遭い現在の建物は1856年再建のもの。内部は赤を基調とした装飾で客席数2000当時モスクワ市民の社交場で厚い外套とブーツをクロークに預けるとハイヒールに履き替えドレス姿に早変わりして観劇とおしゃべりを楽しむ。確かこの時はオペラ”Prince Iror”をRB4(¥1600)で見たと思うがフアンには堪らないものだろう。2005年7月から長期改修工事に入り、現在は隣接の新館で上演しているようだ。

5、モスクワ大学

File0004 ニューヨークの魔天楼にコンプレックスを抱いたスターリンがNYに負けないビル群を建てようと考え1950年代に7つの建物(7姉妹と呼ばれる)を建てたが、その内の最大の建物が雀が丘(旧レーニン丘)に聳える。モスクワ大学とはロシアに於ける東京大学で創設者は科学者ミハイル・ロモノーソフ。もともとクレムリンの北側に創設されたが、1953年スターリン・クラシック様式の学舎完成と共に移転したもの。中央の32階建て部分は大学の管理棟で両サイドの17階建てのウイング部分は学生寮。理科系21学部、学生数32000人で学費は殆どの学部で免除但し留学生は別との事。(因みに7姉妹とはウクライナ・ホテル、レニングラースカヤ・ホテル、鉄道省、外務省、文化人アパート、芸術家アパートとモスクワ大学を言う)

6、ノボデヴイッチ墓

File0002 ノボデヴイッチ修道院には無数の墓地があり、哲学者ウラジーミル・ソロブイヨフ等著名人も眠っているが寧ろ修道院の壁の外側に1890年に出来た墓にはチエーホフ、ゴーゴリー、マヤコフスキー、ブルガーコフ、シェスタコヴイッチ等著名人の墓が多い。クレムリンの城壁に遺骨を埋めて貰えなかったフルシチョフ、グロムイコそして2007年にはエリツイン元大統領も眠っているそうだ。1930年代の都市改造によって多くの墓が潰されることになり此処に移されたものだが写真は一般市民の墓。

7、トレチャコフ美術館

File0001 先祖代々の商屋に生まれたバーヴエル・トレチャコフ(1832-1898)は社会から得た利益は有益な施設の形で還元するとの信念から美術作品の収集を開始し私費を投じて美術館を創立したもので中世から現代に至る10万点の作品を所蔵。19世紀後半から20世紀初頭のロシア美術の作品が揃っている。好きな絵は帝政ロシア時代馬車で一人で座る黒ずくめの貴婦人が神秘的な眼差しで此方を見つめている。魅惑的な黒い瞳は正にロシアのモナ・リザと呼ぶに相応しい傑作と言われる”忘れえぬ人”だ。渋谷のBunkamuraザ・ミュージアンで4月4日~6月7日まで”国立トレチャコフ美術館展”で出展されるようなのでぜひ再会したいものだ。

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