京都の桜(2009・4)
今年は暖冬の影響からか桜の開花が1週間程早いと言われたが、開花宣言と同時に寒さがぶり返し長く楽しめたように思う。花の命は短いもの。春霞の京都をカメラ片手に突撃した結果の一部を番外編として紹介します。やはり京都の桜は夫々個性があって美しい。
1、京都御苑
江戸時代は200もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ街だったが明治2年(1869)東京遷都で次第に建物が取り払われ現在は天皇の即位式が行われる以外は使うこともなく、公園として整備され御所と一体となった景観を維持し市民の憩いの場として開放されている。苑内には100年を超える樹木が育ち旧公家屋敷や庭園など歴史的遺構が点在し、後水尾天皇が余りの美しさに御車を引き返させた”御車返しの桜”が見事だった。
2、平安神宮
玉砂利が白く輝く広場を前に大極殿と左右二つの楼閣が鮮やかな色彩を放つ、朱塗りの柱に白壁、緑の屋根の組み合わせは王朝の昔を彷彿とさせる。平安奠都1100年を記念した博覧会の目玉パビリオンとして建築家伊藤忠太が明治28年(1895)に創建したもので、社殿は平安京大内裏の朝堂院を8分の5に復元したもので蒼龍桜前の桜を撮った。神苑の枝垂れ桜(約150本)は有名だが苑に入らなくても結構見事な桜が咲き誇っていた。
3、哲学の道
東山山麓の若王子橋から銀閣寺橋までの疎水べり2kmを”哲学の道”と呼ぶ。沿道には約300本の”関雪桜”と呼ばれる桜が大正10年ころ京都画壇の重鎮橋本関雪夫人によって植えられたもので、関雪は銀閣寺参道の入り口に邸宅を構え(先般焼失した)、此処で数多くの名作を発表したことに感謝し寄贈したそうだ。哲学者西田幾太郎や経済学者河上肇等が好んで散歩したことから”哲学の道”と呼ばれるようになり日本の道100選にも選ばれている。
4、琵琶湖疏水
東京遷都で衰退する京都を立て直すため明治期(1885~1912)琵琶湖から京都にひかれた水路で、当時は舟運、発電、上水道、灌漑用水が目的だったが現在は上水の供給目的のみ。JR山科駅から山に向かって10分程の所に疏水があるが両岸にソメイヨシノやヤマザクラが植えられている桜の名所。
5、高瀬川
木屋町通りの高瀬川は居酒屋の明かりを川面に映し夜の街の喧騒を吸い込みながら流れている。豪商角倉了以が慶長16年(1611)頃、物資運搬のため造ったもので、京都中心部と伏見を結ぶ運河として300年間使われた。盛時は大坂等へ物資を運び入れる高瀬舟が百数十隻も活躍し、二条から五条までの舟入(船留所)があったと言う。幕末高瀬川は勤皇の志士達の血なまぐさい歴史を見つめ、明治以降は船運の目的を失ってしまった。写真は一の舟入(島津製作所旧本社南)の高瀬舟を覆う桜。
6、祇園白川
祇園北側の白川南通り沿いを流れる白川の辺りは花街風情を色濃く残す界隈で、この周辺は”祇園新橋伝統的建造物群保存地区”に指定されており江戸末期から明治初期にかけての質の高い町屋が整然と並び紅殻格子と簾の典型的なお茶屋が軒を連ね石畳の通りにはソメイヨシノや枝垂れ桜と共に柳が植えられている。この桜が最も魅力的に見えるのはお茶屋の千本格子や簾の奥に灯が灯り始める夕暮れ時だ。爛漫の桜がその明りを受けて艶めいてくる。そして三味の音・・・・向こうから舞妓の姿が・・・・。しかし中々チャンスは訪れない
7、醍醐寺(世界遺産)
創建は貞観年間(859~77)。真言宗醍醐派総本山で理源大師が建てた准胝堂は西国33ヵ所観音霊場の第11番札所でもある。慶長3年(1598)3月15日豊臣秀吉は醍醐寺で花見の宴を催した。これに先立ち近隣4ケ国から桜を700本集めて移植、醍醐山全山を寺城とし、山上の上醍醐、山裾の下醍醐と合わせて80を超える諸堂が立ち並ぶ壮観さは秀吉の時代と変わらない。現在この季節には2000本の桜が咲き乱れ総門から仁王門にかけての”桜の馬場”はソメイヨシノや枝垂れ桜が隙間なく咲き乱れる。圧巻はこぼれんばかりの花をつけた国宝五重塔の前の枝垂れ桜だろう。
8、城南宮
平安遷都の頃に白河上皇が造営した鳥羽離宮の裏鬼門の守護鎮守社として建てられ方除けと交通安全の神様として知られ、新築や転宅、旅行、交通安全の祈祷などで賑わう。幕末の鳥羽伏見の戦いではこの神社の西一帯が戦場となった。神苑”楽水苑”は春の山、平安、室町、桃山の庭と続く回遊式庭園で各時代の造園技術を取り入れた名庭で枝垂れ桜が見事だった。
9、大御堂観音寺
京都南部の普賢寺川の橋の袂にあり正式には息長山普賢寺と称し、天武天皇の命により義淵僧正が開基した古刹で藤原氏の氏寺興福寺の別院として庇護を受け何度も火災に遭うが隆盛し、堂,塔、伽藍の建ち並ぶ大寺院であったようだ。本尊国宝”十一面観音立像”は奈良時代の作。参道は桜並木で覆われ、この頃咲く菜の花とのコントラストが素晴らしく、毎年”花見ウオーク”が行われ市民に親しまれている。
10、地蔵禅院
京都南部JR玉水駅東へ1・5kmの井出町の小高い丘にある曹洞宗の寺で玉津神社の南隣に位置する。享保12年(1727)に植えられた寿命280年の桜は昭和22年に枯死したようだが、2代目に当たる見事な枝垂れ桜は京都円山公園の桜と同じ親木から枝分けしたもので、京都府天然記念物に指定されている。この高台から井出の里を一望できる。
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