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2009年7月

クロアチアの旅(2009・7)

最近何故か女性の間でクロアチアが人気のようだ。日本人にはサッカー・ワールド・カップですっかり馴染みになったが、それまでは多分多くの日本人は何処に位置するかも知らなかったのではないだろうか?1991年ユーゴスラヴイア社会主義連邦共和国から独立を宣言すると旧ユーゴ軍の反撃を受け独立戦争へ突入した。そして1992年クロアチア共和国として独立。その後セルビア人による内戦が続き、1995年に漸く終結したが国土の80%は破壊されたといわれる。その復興に全国民が情熱を注ぎ、九州の1・5倍の面積に5つのユネスコ世界文化遺産と一つの自然遺産を持つ観光立国となり、ナチュラリスト(ヌーデイスト)やネクタイ発祥地でもあるようで注目の国だ。アクセスが悪いので興味も薄かったが今回JAL直行便を飛ばすと云うので旧ユーゴのスロヴエニア、ボスニア・ヘルチエコビナ、モンテネグロへも立ち寄ってきました。やはり女性客が圧倒的で男性は4分の1程度だった。そんな旅の様子を紹介します。

1、リュブリヤナスロヴエニア

File0001 スロヴエニアの首都で、かっては”ユーゴスロヴイアのスイス”とも形容された街で、ギリシャ神話の英雄イアソン王子によって建設されたと云う伝説が残る歴史の古い町。1世紀にローマ帝国のエモナと云う街として建設され、6世紀にスラヴ人が移住、10世紀には現在の名で呼ばれるようになった。14世紀以降はハプスブルク家の支配下でスロヴエニア文化の中心地として発展してきた人口27万人の街。リュブリヤナッツア川を挟んで新市街と旧市街に分かれ、旧市街は中世に2度大震災に見舞われた為様々の時代の建築物が混在していた。 写真はケーブルカーで上ったリュヴリヤナ城。

2、ブレッド湖スロヴエニア

File0002 スロヴエニアが誇る大自然の芸術とも云われる鏡のように澄み切ったロマンチックな湖で、かってはハプスヴルク家のリゾート地として整備され、旧ユーゴスラヴイア時代はチトー大統領の別荘地として栄え現在は国立公園。ブレッド湖の水面130mの崖の上に聳えるスロヴエニア最古の城・ブレッド城や17世紀バロック建築の聖母被昇天教会等遠望は絵画のようだったが手漕ぎボートで渡った教会はスロヴエニア人憧れの挙式会場と云われるが差ほど感慨はなかった。

3、プリトヴイッツエ湖群国立公園世界自然遺産

File0008 アドリア海沿いに文化遺産が並ぶ中で唯一内陸部にある自然遺産で、標高650mの高さにある200㎢に及ぶ自然公園の標高差150mの中に大小16の湖と92ケ所の滝がある湖群公園で中国の九賽溝と比較される。石灰石で出来た土地は普通余り草木はないがバクテリアが藻や苔となり石灰石の穴をふさいで深い森が出来たと云う。クロアチア戦争時はセルビアの管理下に置かれ戦災による被害から一時”危機遺産リスト”に登録された見事に復元した。

4、ザグレブ

File0005 オーストリア、ハンガリー時代の面影が残る石畳の街でクロアチアの首都。19世紀以降に造られた新市街と18世紀以前の旧市街に分けられる。歴史は1世紀にハンガリー王ラースロ一世が現在のカプトル地区とローマ・カトリックの司教区として定めたことに始まる。13世紀には西のグラデツ地区がハンガリー王・ベーラ4世によって自由都市として認められ庶民と商業の街として栄えた。聖母被昇天大聖堂が有名だが聖マルコ教会前の復活祭の卵が未だ飾られていたので紹介します。

シベニクの聖ヤコブ大聖堂世界遺産

File0004 アドリア海の小さな街だが、この街を有名にしているのが聖ヤコブ大聖堂。1432年から100年以上にわたり多くの建築家が携わり、北イタリア、ダルマチア、トスカーナとの交流によって最初はゴシック様式で建築が進み、1441年から巨匠ユライ・ダルマテイナッツが設計を引き継ぎ、プランは大幅に変更され見事なルネサンス様式の聖堂となった。1475年彼の死後ニコラ・フレンテイナッツが後を継ぎ1554年漸く完成した

6、トロギーFile0009世界遺産

ギリシャの植民地トラガリオンとして築かれた街で、そこへスラブ人やアヴアール人に追われサロナから逃げてきて都市として発展させた。元々島ではなかったが都市防衛のため濠を廻らして島とした。現代的でダイナミックに変動し続けるスプリットとは対照的に中世の面影が色濃く残る街だった。砦がカフエになったり古い建物をホテルに改装するなどクロアチアのエッセンスが注がれた感じで、旧市街の中心イヴアナ・パヴラ広場に聳える端正な鐘楼は3世紀に殉職した聖ローレンスに奉げられた聖ロブロ大聖堂 でトロギールで最も重要な建物。

スプリットとデイオクレテイアヌス宮殿世界遺産

File0007_2 ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市。古代ローマ皇帝が造った1700年前の遺跡とそこに住む人々の営みが渾然一体となった不思議な街並みだった。ローマ皇帝デイオクレテイアヌス(245~313)が退位後に住んだ宮殿で295~305年にかけて建てられたもので、長辺200mの頑丈な城壁で囲まれておりロマネスク様式の大聖堂やアーチ形の天井を持つ神殿が残っていた。現在宮殿は街としての機能を持ち、遺跡の上に幾層もの建物が複雑に絡み合い洗濯物が風に吹かれている不思議な街並みで土産店等がが並び一部は地下も使われていた。

モスタル世界遺産)(ボスニア・ヘルチェコビナ

File0012 トレヴア川両岸の台地に発展したボスニア・ヘルチェコヴイナの中心都市。古くから貿易で栄え15世紀中頃オスマン帝国の支配下に置かれてからは軍事の要衝としても発展した。名前の由来はスラブ語”モス(橋)”と云われ、街の中心に架かる頑丈な石橋は数百年に亘り街のシンボルとして愛されてきたが内戦で破壊され、戦後ユネスコの援助で往時の姿に復元され平和の象徴として復活した。トルコの面影が色濃く残るエキゾチックな街並みと共に世界遺産になった。

9,コトル世界遺産)(モンテネグロ)

File0010 アドリア海から続くコトル湾の奥深くに佇む三角形のモンテネグロの街背後を急峻な山に、前方を海に守られた堅固な要塞都市で外敵に破壊される事がなかった街だ。起源は古代ギリシャ時代に遡り15世紀以降はヴエネツイアの支配下で軍事都市として発展した。オスマン帝国の脅威に備えて堅固な城壁が整備されたそうだ。城壁に囲まれた旧市街には細い路地が入り組み、古い教会が幾つも残っていた。1979年の地震で深刻なダメージを受けたが、同年世界遺産に登録された。

10、ドヴロブニク(世界遺産

File0011アドリア海に浮かぶ真珠”と称され15~16世紀にヴエネツイアと並ぶ海洋貿易都市として栄えた街。アドリア海に突き出した旧市街とノスルジ山の裾野に広がる新市街から成り、旧市街には今も当時の面影が色濃く残る。街を囲む城壁は8~16世紀に増改築を繰り返し建造されたもので旧市街に並ぶ家のオレンジ色の屋根が印象的だった。

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