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2009年8月

敦煌・莫高窟の壁画(続編)

シルクロードの旅で敦煌の莫高窟を訪れてから既に10年が経った。旅の様子と壁画を2007・7に紹介したが、今回はその続編として中国郵政電子省がシリーズで発行した特別切手から壁画の一部を紹介します。壁画の写真撮影は禁じられているので彩色豊かな切手からの紹介になりますが最近では壁画の痛みが激しく入場できる窟も限定しているようです。更にはウイグル民族問題が微妙な情勢になり、ウルムチへ入り難くなったのでシルクロード旅行も気軽に行けなくなってきたのは残念だ。

そもそも有名な莫高窟は河西省の西端にある敦煌のオアシスの南に広がる砂丘・鳴沙山の東麓にあり、遠い昔、前を流れる大泉河の水量が多くその奔流が鳴沙山の東麓を削り1・6kmに及び断崖を形成したといわれる。禅窟は366年(建元2年)に建築され始め1000年以上にわたって拡張と修復を繰り返し約600の窟龕が開かれたが、壁画や仏像が残っている窟龕は492を数える。莫高窟は敦煌3所(他に西千仏洞、楡林窟)の禅窟の中でも最大規模で仏教美術面でも一際群を抜き、塑像は2415体、壁画は45000㎡に達するほどで中国古代仏教美術の宝庫と云われる。現存する窟龕の造営は5世紀前半の北涼から北魏、西魏、北周、隋、唐、五代、宋、西夏、元と10代10世紀に亘る。1961年に中国政府は莫高窟を歴史的文化的見地から保護下に置き1987年ユネスコの世界文化遺産に登録された

、供養菩薩北涼272窟・西壁の西側

File0001 仏の教えを聞き、あの世に幸せがあることを喜び、思い思いの姿態で踊っている”伎楽図”の伎楽天を描いている

2、狩猟西魏249窟

File0003馬に乗った猟師がモンゴルガゼルと虎を追っかけている姿で、明るく自然な表現である。動物や猟をする人を描いて人間界を表す一方、その上部を天空に見立てて仏教的内容と共に中国古来の神話伝説など神仙思想の要素を持つ多くの神々を描いたものの一部である。

格闘西魏285窟・南壁

File0005_2500羅漢が仏になる壁画は西魏の絵物語の重要な部分だが500羅漢が官軍と闘っている光景を描いている(得眼林物語)。物語は500人の強盗が暴れていたので官軍を差し向け、捕え衣服をはがし、両眼を抉られて山林に放遂された。強盗の一人が苦しみのあまり仏の名を呼ぶと、仏は慈悲心を持って妙薬を彼らの眼に吹き込み強盗は再び光明を得た。仏の説法によって過去を悔い改め、仏に帰依し山林に隠棲して修業を励んだと云う。

4、建塔北周296窟

File0007 この時代の文化と芸術は輝いており、鮮やかな色彩と迫力のある形でバイタリテイに溢れる。仏が経典を説くときには空に飛天がある

5、救済観音(420窟・上部

File0009 仏教経典の図解壁画で覆われている一部で、仏教は中国で普及し綿々と続く中国の伝統文化に溶け込んだ。

6、維摩詰103窟・東壁門口の両側

File0002_3 帷をあげた几帳の中で眉根を寄せた厳しい顔つきの維摩詰が綸巾を被り手に羽扇を持って、正に法輪を戦わす姿を描く、迫力ある姿と性格描写は正に真を写す人物画で、隋代に比べ格段に進んだ画家の手によるものと思われる。

7、張議潮出行図晩唐156窟・南壁

File0004_2 唐王朝の敦煌の重要な歴史的儀式を描いている。唐の第16代宣宗皇帝(848)から敦煌統治のため長安から張議潮が派遣され、吐蕃から漢族支配を回復したもので楽隊、儀伏隊を従えた華やかな出行図を表している。

8、魔女196窟・西壁

File0006労度叉闘の物語”の細部で、仏弟子の舎利徳弗と外道の労闘叉が相対し、両者が種々の神通力を表して闘う有様を描いている。

9、五代山図五代61窟・西壁(4×3m)

File0008 9世紀頃日本僧憧れの聖地、山西省五台山を中心とした中国でも現在最古の地誌、名勝図として貴重である。五台山の名刹が配置され、その間をラクダや馬による旅行、旅館、馬や牛による農耕など当時の庶民風俗が展開した風俗絵巻である。五代と北宋の時代は、敦煌では中央平原と他地域での戦争による大混乱はなく、長期にわたって安定していたことが壁画からも伺える。地方の芸術学院は洞窟の建築や多くの新しい壁画手法を育んだ。仏教の聖地五台山の満ち足りた光景が描かれている。

                                          

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