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2010年6月

北京旅行(2010・6)

餃子事件以降中国旅行から遠ざかっていたが今回35年ぶりに新しい北京見てきました。前回訪問は1975・1、約2週間の技術交流でした。当時は観光旅行なんて勿論駄目で、政府招喚状が無いと入国出来ない。しかし新しい技術を吸収しようと云う意欲は強く技術交流会は歓迎していた。1972・9に日中国交が回復し1976・10に4人組が逮捕されたのだから文革終盤の頃だったのだろう。田中角栄、藤山愛一郎等政府要人が訪れた程度で未だ閉ざされた国だった。既に台湾を訪問していたので新たに一次パスポートを取得して行ったが流石にVIP扱いで観光地では長蛇の列でも外人優先で入れてくれ、夜は一流レストランで歓待してくれた。帰国後早速公安局から事情聴取と云う名目で中国の様子を聞かせて欲しいと来社したのも今は懐かしい。早朝民間人の居住地区を散歩していたら外人は決められた所以外立ち入り禁止とのことで随分しかられた事を思い出す。当時は男女共人民服だけでフアッションなんて全く無縁の景色だったが今は丹下健三氏も驚くような奇抜なデザインのビルが建ち並び、漢字が無ければニューヨークの街と見間違うような洒落たオフイス街をミニ・スカート姿で闊歩する姿は異国だった。ビルの前は花壇や植え木で飾られ、道路やトイレでは掃除をする人が常に美化に努めている。勿論トイレでチップを要求する姿も無くなっていた。現地の人によるとこの10年で大きく変貌しとの事で、道端で痰唾を吐く人も見かけなかった。平均給与が3万円の人達がユニクロの広々した店内を犇めいている景色はまだ理解できない。35年前の想い出を交えながらオリンピック後の新しい北京を紹介します。

1、天安門

Img_0003 北京の中央に位置し中国のシンボルと云える建物。創建は1420年、3階建ての大門で承天門と呼ばれていたが清代に今の形になり天安門と改名された。朝廷の詔勅を宣布する場所として使われたが、近代では民主運動の中心となりデモや集会が行われ天安門から全国各地に独立運動の波が広がった。そして1949年10月1日毛沢東が 五星紅旗を掲げ中華人Img_0001 民共和国の成立を宣言したのもこの場所だ。1989年の”六・四事件”後、閉められていたが1990年のアジア大会以降特別行事の時は開かれるようだ。35年前と外観は変わらないが広場を往来する人達の殆どが自転車だったのが今は花壇や噴水等が設けられ自動車の往来が激しかった。

、故世界遺産

Img_0011 創建は1406年永楽帝が元の都であった北京に15年の歳月をかけて造営。面積約72万㎡、部屋数は俗に99999室と云われ、所蔵品は100万点を数える世界最大級の博物館の一つ。かって紫禁城と呼ばれ明、清王朝の政治の中心であった場所。各々の宮殿に数々の財宝が展示されておりスケールの大きさに圧倒される。主な財宝は蒋介石が台湾へ運んだというが翡翠の置物など栄華を極めた王朝時代の置物は素晴らしく中国文化の奥深さに改めて驚いた。北京オリンピックに合わせて外装を塗り替えたのだろう、煌びやかな色合いだった。展示品は個別にプラスチックの外壁でカバーされていたのは興ざめた。

3、頣和園世界遺産

Img_0006 12世紀に金が小宮殿を建てた場所で、1750年清の乾隆帝が母親の長寿を祝って大改造をし離宮とした。人工の山水の風光と数々の楼閣は清滅亡を早めた原因の一つと云われる程贅を尽くしたもので杭州の西湖を模した昆明湖や江南地方の風景をこの庭園に移したとされる。1860年英仏連合軍の破壊によって廃墟と化し、更に1900年8カ国連合軍によって再び破壊されたが1902年西太后によって再建されたもの。35年前訪問した時は真冬だったので昆明湖は凍っており数人の子供達が遊んでいた程度だったが観光客の多いのに改めて驚いた。

4、万里の長城世界遺産

Img_0009_2 北京北部を東から西へ6000km、司馬遷の”史記”に”万里余”と記されたのが名前の由来。春秋時代に騎馬民族の侵入を防ぐため築かれた土壁を中国を統一した秦の始皇帝が繋ぎ合せて北側の国境地帯を守ったのが歴史の始まり。今回訪れたのは北京から70kmの所にあり最初に開放された”八建嶺”、緩やかな登りの”女坂”、勾配が急な”男坂”付近はきれいに修復されていた。35年前はジープで3時間程かけて訪れたが所々Img_0002_2 崩れており、-40度の外気へ急に降りたので吐き気がして観光どこ ろではなかった事を思い出した。今回は観光客の多いのに驚いた。

5、明の十三稜世界遺産

Img_0001_3 明代皇帝の陵墓の総称。第三代永楽帝の長稜から第十七代崇禎帝の思稜迄十三皇帝の陵墓が山裾に点在していた。唯一公開されている定稜(地下宮殿)を見学したが大理石で造られた豪華な墓だった。35年前行ったのは確か13代陵墓だったと思うが今は特別な時しか公開されないとのことだった。

6、天壇公園世界遺産

Img_0005 明、清代の皇帝が五穀豊穣を願って天に祈りを奉げたところ。祈念殿は天安門と並ぶ北京のシンボル。祈念殿と星穹宇の間は周囲より高くなっており”天空を行く橋”とも呼ばれる大理石の丹陸橋で結ばれていた。前回訪問時は1月の寒い日だったが人民服を着た若いカップルが手摺に腰掛けて何か楽しそうに語り合っていた姿が印象的だったが今は大勢の観光客でごった返していた。

7、鳥の巣

Img_0008_2 スイスの建築家ユニット、ヘルツオーク&ド・ムーロン設計による高さ330m×幅330m、収容人数8万人の北京オリンピックのメーンスタジアム。北京市内北部のオリンピック公園内にあり隣接の国家水泳センター、国家体育館等奇抜なデザインの建物が並び、圧巻は紫禁城横に建てられた饅頭形の国家大劇院だろう。中国の街に相応しくないとの批判が強いようだ。

8、ザ・リッツ・カールトン北京

Img_0007_2 今回泊ったホテルだが2007年オープンの英国のマナーハウスをイメージした17階建ての小振りなホテルだが素晴らしかった。長安街沿いの活気あふれるビジネス街に位置し、隣接の台湾系資本のデパート“新光天地”が便利だった。35年前に泊った北京飯店は1900年オープンの北京最初の国際ホテルで世界のVIPが泊るだけあって天井の高い重厚な中国風の建物で薄暗い感じだったが今はどうなのだろう?

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