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2010年8月

旧ソ連邦の旅(1977・8)

もう30有余年前になるが、この年は商用で4回ソ連邦へ出かけた。2009・1に厳寒のモスクワの状況を、更に2008・5には新生ロシアの状況を紹介したので今回は夏の旧ソ連邦をセピア色に退色した写真から紹介します。この旅では初めてのレニングラード(現サンクトペテルブルク)を特急夜行列車”レッド・アロー号”で移動した。(乗車券RB22=¥8800)4人用コンバートメントだったが1人ロシア人女性が乗って居り、我々の前でパジャマに着替えるなど全く男性を意識しないのに驚いた。英語が通じないのでロシア語で話してくるが全く分からない。ウオッカ片手に身振り手振りで楽しんだのも想い出だ。レニングラードは中央のモスクワから離れて居り、且北欧圏に属する為か人々はフリーでゆったりした雰囲気だった。(宿泊代RB40=\16000/泊)

1、ボリショイ・バレー

File0003 ボリショイとは”大きい”と云う意味で直訳すれば”大劇場”の事だが現在の建物は1856年アルベルト・カヴオスに依って再建されたものだが現在長期改修中。内部は赤を基調とした装飾で客席数は約2000.当時入場料はRB2=¥800だった。この季節は外貨稼ぎのためAクラスは海外に出かけて居るが流石”芸術の国”ロシアの象徴だけあって素晴らしかった。

2、スパース・ナ・クラヴイー教会(血の上の救世主教会)

File0005専制君主だった父ニコライ一世の後を継いだアレクサンドル2世は後進性を克服する様々な改革に着手したが1881年3月、革命を目標とする 急進的テロ組織”人民の意志”派によって暗殺された。新たに即位した息子のアレクサンドル3世によって父の死を惜しんで殺された場所の上に教会を建てさせた。現在内部の美しさは世界一とも云われるがソ連時代は粗末に扱われており確か倉庫として利用されていたと思う。モスクワの”ネギ坊主”ポフロクスキー聖堂(ワシリー寺院)に似た美しい純ロシア教会だったので写真に収めたが歴史的価値は随分異なるようだ。

巡洋艦オーロラ号

File0001ロシア革命(10月革命)の始まりを記念する巡洋艦で、1917年10月25日夜ここから発した一発の空砲を合図にポリシェブイッキ革命軍は冬宮へ突入し無血革命を成功させた。ネヴア川が大ネフカ川と別れる所に錨を降ろしており日露戦争ではバルチック艦隊の一員として参戦したが日本軍の砲撃で受けた大穴が舷側に開いていた。

ベトロドヴアリエーツ(ピヨートル大帝の夏の宮殿)(世界遺産

File0002 フインランド湾に面した美しい噴水と庭園、宮殿のアンサンブル。北方戦争に勝利し名実共に大国となったロシアに相応しい宮殿をと云うピヨートル大帝の野望から生まれた夏の宮殿。海から段々とテラス状に高くなるペテルコーフの地形に注目し、水を生かした宮殿を構想し1723年に完成した。フランス式の上段の庭園と噴水群が見事な下段の庭園、そしてその間に立つ宮殿から成っているが素晴らしいの一語だった。

エルミタージュ美術館

File0004 収納美術品300万点、展示室を全部歩くと20km以上に及ぶという規模で、冬宮、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュの4つから成るが、全て廊下で繋がっているので実際には一つの建物ようだ。美術品の素晴らしさは勿論だが宮殿装飾の豪華さに圧倒された。大使の階段(ヨルダン階段)を上り”将軍の間””ピヨトール大帝の間””紋章の間””大玉座の間””パヴイリヨンの間”・・・・と続く豪華絢爛の宮殿装飾が素晴らしかった。当時は閉ざされた国で旅行者も少なかった為、殆ど並ばずにゆっくり鑑賞できたのが懐かしい。

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