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2010年12月

紅葉あちこち(2010・12)

今夏は殊の外暑さが厳しく、そして9月に入ると急に寒くなったので今年の紅葉は美しいだろうと云われていた。シャッター・チャンスを求めて今年も東京、奈良、京都の紅葉名所を訪ねたが中々まっ盛りのタイミングに遭遇せず不本意な結果だった紅葉時期は例年より少し早かったようだが鮮やかだった。そんな駄作の一コマを紹介します。

1、円成寺(奈良・柳生の里)

Img_0002 柳生街道の名刹で開創は天平時代と伝えられ万寿3年(1026)命禅上人が再興し、山号を忍辱山と云ったが現在の堂宇は応仁の乱で焼失後再建されたもの。平安時代に京都の円成寺を移したとも云われる。仏像は運慶の大日如来が有名で表情にみずみずしさを感じるそうだ。楼門前に広がる庭園は平安末期寛遍僧正が築いたといわれ全国屈指の浄土式庭園として名高いようだ。11月3日に訪れたが紅葉は既に盛りを過ぎていた。大台ケ原も既に散りかけていたようで山里の秋は駆け足のようだ。

2、国立昭和記念公園(立川市)

Img_0001昭和天皇の在位50年を記念して1983年10月に立川基地跡の一部に開設された公園で東京都立川市と昭島市に跨る国営公園。約150haの敷地に広大な芝生と植林があり四季折々の草花を観賞しながらの散策、木陰での読書、バードウオッチング、バーベキュー、サイクリング、ボート遊び等大人から子供まで1日ゆっくり楽しめる素晴らしい所だ。撮影は11月16日だったがモミジは既に盛りを過ぎて居たが銀杏並木が素晴らしかった.

3,高桐院(大徳寺)

Img_0003 細川幽斎公の長子忠興三斎公により慶長6年(1601)に建立された大徳寺塔頭の一つで開祖玉甫紹総琮和尚は幽斎公の弟。細川三斎公は利休七哲の一人で茶道の奥義を究め歌道も嗜んだ人だが遺言により高桐院に埋葬された。正室ガラシャ夫人、歌舞伎の始祖出雲の阿國の墓もあった。書院は千利休居士の邸宅を移築したもの。華麗な紅葉は11月18日では少し早すぎたようだ。

4、光寺(一乗寺)

Img慶長6年(1601)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶禅師を招き、伏見に園光寺を建立し学校とした。園光寺学校は僧俗を問わず入学を許可し、又孔子家語、貞観政要等多くの書籍を刊行した。当寺には出版に使用した木活字が現存しており、我が国出版文化史上特筆すべき寺院でもある。園光寺はその後相国寺山内に移り、更に寛文7年(1667)現在の一乗寺小谷町 に移転された。庭園には水琴窟、栖龍池(洛北で最も古い池)、境内山上には徳川家康を祀った東照宮や墓地内には村山たかの墓もある静かな庭11月26日の紅葉は素晴らしかった。

赤山禅院(修学院)

Img_0008本尊は赤山明神。円仁の遺命により弟子の安慧が仁和4年(888)に創建し延暦寺の別院とした。本尊は天台守護とされる。修学院の近くで京都の東北鬼門に当たり方除けの神として信仰を集める。当寺の御札を家に貼ると鬼門除けになるという。都七福神祭りのひとつ福禄寿の寺。拝殿屋根の猿は災いが去るに因む鬼門封じ。御所の東北角猿ケ辻の猿と対応して御幣と鈴を持った猿が安置されている。モミジの名所で境内の池の周りの紅葉が特に美しく、平安時代は池に船を浮かべて宴を催したと云う。11月26日のモミジは真っ赤に燃えていた。

6、真如堂(真正極楽寺)

Img_0007 開基は比叡山の戒山上人。本尊は高さ3尺3寸の阿弥陀立像。円仁が唐から帰朝する時に船上に現れた阿弥陀如来を彫刻して延暦寺の常光堂に祀り、永観2年(984)に戒算がこの像を移したのが始まりと云われる。その後伽藍が整備されたが応仁の乱で焼失、足利義政の寄進により現在地に再建された。享保2年(1717)再建の本堂は京都市内の天台宗本堂として最大規模を誇る。紅葉の名所だけあって少し盛りを過ぎていたが11月30日でも十分美しかった。

7、八瀬

Img_0004_2比叡山の麓にあり大原へ通じる道古来”矢背”とも記されるように壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人皇子(天武天皇)が当地の釜風呂で傷を癒したと伝わり、平安時代の昔から貴族や武士に別荘地として愛されたようだ。比叡山への西の入り口でケーブルカー、ロープウエイを乗り継いで比叡山山頂まで行ける。駅名も”八瀬”⇒”八瀬遊園”⇒”八瀬比叡山口”と変わってきた。遊園地跡地には会員制ホテル”エクシブ八瀬離宮”が建っており美しい景観を呈していた。実は1週間前にテレビ放映された”瑠璃光院”が春、秋期間限定で公開している事を知り訪ねたが11月26日では紅葉の盛りは過ぎていた。

8、法然院(鹿ケ谷)

Img_0005浄土宗系単立寺院。山号は善気山。本尊は阿弥陀如来。鎌倉時代の初め鹿ケ谷の草庵で法然が弟子の往連坊、安楽坊と共に六時礼讃(阿弥陀仏を昼夜に6回拝む)を勤めたのに由来する。延宝8年(1680)に知恩院の萬無と弟子の忍澂が念仏道場として再興した。境内には谷崎潤一郎、九鬼周造、河上肇等多くの文人の墓があった。方丈庭園内の善気水は洛中名泉の一つと云われるそうだ。鹿ケ谷の山蔭に位置している為か11月30日でも未だ青葉も残り紅葉真盛りとは言えない状態だった。

9、南禅寺

Img_0006 臨済宗南禅寺派の大本山前身は亀山天皇が文永元年(1264)に大宮院(亀山天皇の母)の御所として造営した離宮禅林寺殿。京都五山の第一位となり、その後足利義光によって五山の上とされ隆盛した。籐堂高虎の寄進によって再建された三問の楼上から京都市街が一望でき歌舞伎”楼門五三桐”で石川五右衛門の”絶景かな絶景かな”で知られる。境内を横切る水路閣は明治18~23年にかけて建造された琵琶湖疏水の水路橋で延長93m、幅4mのアーチ構造の煉瓦造りで京都を代表する景観のひとつ。11月30日では紅葉は盛りを過ぎていたが流石に美しい。

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