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2011年6月

中国(大連、瀋陽)の旅(2001・6)

かっての日本人は大陸に夢を馳せ大連を起点に瀋陽、長春、吉林、ハルピンへ渡って行った。瀋陽は日露戦争の戦場になった街で、又日中戦争の戦端の火ぶたが切られた街でもあり、年配の日本人には忘れられない街だ。そんな時代を思いながらの旅だったが、日本企業の現地駐在員に案内頂いたので単なる観光旅行とは違った楽しみ方も経験した旅だった。10年前のそんな思い出を紹介します。

瀋陽

瀋陽はかって満洲国の時代には奉天と呼ばれ、東北一の大都市で北京から特快で10時間、大連から5時間の中継地になっていた。瀋陽駅の駅舎は東京駅に似たレンガ造りの重厚な建物で此処を起点に散策した。

1、瀋陽故宮博物館

Img_0005 清朝初代皇帝ヌルハチと二代皇帝太宗が政務を執った居城。スケールこそ北京のそれに及ばないが黄色い瑠璃瓦の荘厳な建物が連なる様はヌルハチの勢力と宮廷生活が忍ばれ、勃興期の満州族王朝の権力の強大さを伺わせるものだった。北京の故宮より華やかな印象さえ受けた。

2、北陵公園

Img_0002 清朝二代皇帝の太宗とその皇后が埋葬されている墓陵。公園内は樹や草花が植えられ湖水にボートが浮かぶ景色だが、公園内の参道を10分程歩いた所に墓陵があるが丁度VIPが訪れており 入れなかった。

大連

日露戦争後満州時代を経て永く日本の管理下に置かれていた街だが、アカシアの木々が美しい現在と過去がうまく同居している街だった。この街の起点は旧ロシア街から始まり中心部に向かうとレンガ建ての重厚な建物が見られ、日本時代の路面電車が当時の姿で走っているノスタルジックな街だった。

1、大連賓館(旧大和旅館)

Img_0001 日本人建築家大田毅、吉田宗太郎設計により1909年に建てられたルネサンス様式のバロック建築で規模も大きく、外観も美しく当時欧米の高級賓館と同じレベルにあったようだ。日本の著名人では中曽根康弘、竹下登、村山富一等も泊まった由緒あるホテルだとか?

大連大学付属中山病院(旧満鉄大連病院)

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満鉄創業時に帝政ロシアの病院を利用して開業したもので、この建物は1925年アメリカ・フラー社設計によって建てられた2代目の最新式病院で当時東洋一の病院だったようだ。

3、大連芸術展覧館(旧東清鉄道汽船会社社屋)

Img_0004_2 1902年建築の帝政ロシアの東清鉄道の子会社でダーリニー(ロシア語で大連の語源)から北京等に定期就航していた船会社の社屋を1996年建て替えたもの。北九州市門司港レトロ地区に中国との友好都市締結15周年を記念してレプリカの”国際友好都市記念図書館”が建っている。当時の大連の資料など結構整備されていたように記憶する。

旧ダーリニー市役所/旧満鉄本社/旧大連自然博物館

Img_0003 ロシア人街の一番奥に建っている帝政ロシアが造った市役所だが、その後南満州鉄道本社となり、更に大連大和ホール、満蒙資源館に転用され、戦後は自然博物館となったが1998年博物館移転後は廃墟。

王光街礼拝堂

Img_0003_2 1928年2代目の教会としてイングランド国教会と日本聖公会の共同で建築したもので、当時日曜礼拝は9時から英語、10時半から日本語で行われていたそうだ。終戦後日本の建物はすべて中国に接収されたが戦勝国である英国が半分の権利を持っていたため、教会堂として残され超教派の中国キリスト教会として大連で最も人気のある教会で大連重点保護建物に指定されている。

中国銀行 (旧横浜正金銀行)

Img_0002日本の半官、半民の貿易金融・外国為替の専門銀行(元東京銀行)で設計は日本の妻木頼黄、大田毅氏によるルネサンス風バロック様式で三つの奇抜な緑色の屋根が美しかった。

旧ロシア街

Img_0001 旧ロシア街一帯はロシアが撤退した際焼き払われてしまったためガイドブックにあるロシア街とは街興しの為レプリカを並べたもので土産物店が建ち並んでいたが、一筋奥に入ったところに満州時代を経た丈夫なレンガ建ての民家が残っていた。

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