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2011年8月

高野山(2011・8)

弘法大師(空海上人)が弘仁7年(816)真言密教の根本道場として開創した世界遺産・高野山へ行ってきました。南海電鉄特急”こうや”で九度山を過ぎる頃から単線になり幾多の山間をぬって走り、終点の極楽橋からは垂直に吊り上げられるようなケーブル5分間で聖地高野に着いた。海抜900mの高峰上にある総面積33万坪の大盆地に117寺院が点在し、山門は素晴らしい彫刻が施され,本堂や庭園も個性ある素晴らしいものばかりで国宝級の絵画や壁画、彫刻、仏像などが並んでいる贅沢な寺院ばかりだった。初めての訪問であり宿坊に泊まり精進料理とやらを楽しんできました。そんな旅の1コマを紹介します。

総本山・金剛峯寺

Img_0004 全国に末寺を持つ高野山真言宗の総本山。金剛峯寺の名前は空海の命名で、もとは高野山一山の総称だったが明治以降は山内寺院の本坊としての一伽藍を指すようになった。この建物は文禄2年(1593)豊臣秀吉が亡き母の菩提の為に建立した青巌寺を明治になって改名したもので建物は創建当時の様式を伝えるが文久3年(1863)再建したもの。写真は奥殿の前にある,我が国最大の石庭・幡龍庭(500余坪)で、勅使門から眺めると雲海の中に雄龍、雌龍を配し金胎不二を表していると云う。

根本大塔

Img_0005 伽藍とはサンスクリットの音訳で本来僧侶が集い、修業をする所の意味。根本大塔は伽藍中心の塔として816年高野山開創の頃より着手し大師と真然の二代を費やして887年頃完成した。高さ50m、四面30m、中央に胎蔵大日如来、四方に金剛像四仏、周囲10本の柱には堂本印象画伯の十六大菩薩を配し、壁には同画伯の八祖大師を描いた現在の建物は昭和12年(1937)再建されたもので、平成8年に外壁を塗り替えたものだが煌びやか過ぎる。

西塔

Img_0007 887年光孝天皇の勅命により当山二世真然僧正が大師の残された”御図記”に従って大塔に続いて建立したもの。創建当時は五重塔であったようだが焼失と再建を繰り返し、現在の塔は5代目で天保5年(1834)に再建 されたもの。高さ27mで白木の侭なので華やかさを抑えているが規模的には大塔に次ぐ大きさ。密教の世界は曼荼羅で表されるが大日如来を中心に仏が配置されており、密教の世界である金剛界と胎蔵界を両方表したものを”両界曼荼羅”と云い西塔の本尊である。

大門

Img_0008高野山の入り口に聳える一山の総門。現在の建物は1705年に再建されたもの。五間三戸の二階二層門で高さ25m、左右に運長作の金剛力士像が安置されていた。正面には”日々の影向を闕かさずして、処々の遺跡を検知す”と云う聯が掲げられていた。

女人堂

Img_0009 高野山には七つの登り口があり高野七口と呼ばれる。明治5年(1872)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく規制され、その為登り口に女性の為の参寵所が設けられ女人堂と呼ばれた。現在唯一残る女人堂。

奥の院

Img_0006 一の橋から中の橋、御廟橋を経て大師の廟へ至る参道の両側は10万とも20万ともいわれる墓石で埋め尽くし老松、巨杉が林立し、昼なお暗い。江戸後期頃から墓石が建てられ明智光秀、織田信長、柴田勝家、豊臣家の墓石もあり生前の愛憎を超えて敵味方なく包み込む聖地なのだろう。流石に夜一人で歩くには勇気がいる。

お江の供養墓

Img_0001 奥の院の奥近く参道の横を入った高台にある”崇源院”こと徳川秀忠の正室であった”お江与の方”の供養塔奥の院で一番大きな墓”一番”と呼ばれている。因みに”二番墓”は安芸浅野家の墓。”三番墓”は前田利長夫妻の墓。少し入った所で入り口には“崇源院の墓”と小さな案内しか無かった為か訪れる人も少なく石段も荒れていた。NHK大河ドラマで時の人なのに、誰か手入れをして欲しいナ。 

燈籠堂

Img_0002 御廟橋を渡ると、そこは聖域で写真など撮れない。”貧女の一燈、長者の万燈”の伝説で知られる御堂には、文字通り万の燈籠が灯され峻厳な美しさだった。自らの髪を売って父母の菩提のために燈明を献じた貧女の小さな燈火も、長者の盛大な燈火も等しく灯されていた。後ろに回ると弘法大師の御廟がひっそり建っていた。高野山の中で最も幽邃清浄な場所で、空海は今も生き、人々を救い続けると信じられ、生前同様のお給仕が日々行われ丁度黄色い衣を纏った僧が昼食を運んでいた

一乗院

Img_0003 今回泊まった宿坊だが弘仁年間(840~)善化上人の開基で、本尊は愛染明王の由緒ある寺院で紀伊家、上杉家始め各大名寄進の仏像、仏画、経典等が現存する寺だった。丁度街の中央に位置し、東の奥の院、西の大伽藍と云った参拝の要路に在り、部屋もリニューアルしたばかりと云う事で53ある宿坊から此処を選んだ。高野山で最も美しいといわれる豪華絢爛な本堂の欄間の前で早朝6時からの勤行に参加し、約40分間般若心経が読経される中、一人づつ焼香しながら聞く説教は素晴らしかった。

精進料理

002 日本料理の基本である甘、塩、酸、辛、苦の5味に”淡味”を加えたものを 精進料理と云うそうで、山里で採れた旬の食材を伝統の技法で手間暇かけて調理したもので懐石料理の基になるそうだ。誕生は鎌倉時代の禅僧によって伝えられたもので”炒める””揚げる”と云う調理法を取り入れたと云う。容器が美しかったので蓋を取らずに写したが因みに、本膳中猪(モロヘイヤのお浸し)、平椀(胡麻豆腐、山葵、割醬油)、吸い物(玉ねぎすり流し、ベビーコーン素揚げ)、ご飯(牛蒡ご飯)、香の物(季節の漬物)、水菓子弐の膳八寸(枝豆塩焼き、無花果、じゅんさい)、冷やし鉢(茄子と茗荷の爽やか煮、ミニ陸蓮根、振り柚子)、酢の物(夏のいろいろ野菜)。参の膳油物(季節の天麩羅)、蒸し物(椎茸湯葉蒸し、隠元、露生姜)、お造り(海ぶどう、白玉、細水雲)と随分手の込んだ料理だったが・・・?

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