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2011年12月

紅葉あちこち(2011・12)

今年の紅葉は10日程遅いようで、又未だ青葉が残っている段階で既に葉が縮んだりして美しさは今一だった。例えば11月26日奈良公園からモミジの名所・正暦寺をハイキングしたが山全体が一部枯れかかった紅葉だった。そんな中、京都の彼方此方を彷徨ってきましたので駄作の一部を紹介します。

円山公園

  Img_0010 元々は八坂神社の一部であったが、明治維新以降、国に納める形で分離され明治19年(1880)開設された市最古の公園。回遊式日本庭園が特に美しく、枝垂れ桜や800本のソメイヨシノで有名だが紅葉スポットも結構あるものだ。11月29日撮影

知恩院

Img_0008_2 全国に7000余りの寺院を擁する浄土宗の総本山。法然上人が晩年過ごされ念仏の教えを説いた寺。江戸時代元和7年(1621)二代将軍徳川家忠が三門を建立、寛永16年(1639)徳川家光が御影堂を建立等によって寺の風格が整った寺で紅葉スポットも多い。11月29日撮影。

長楽寺

Img_0002 平安時代の延暦24年(805)桓武天皇の勅命によって伝教大師を開基として観世音菩薩を本尊として創建された。創建当時は円山公園を殆ど含む広大な寺域だったが東大谷廟の建設に伴い幕府から割かれた。平清盛の娘・徳子(建礼門院)が髪を下ろした寺でもある。相本堂周辺の紅葉が素晴らしいが未だ3分程度だった。11月29日撮影。

高台寺

Img_0003 豊臣秀吉の正室・北の政所(高台院)が秀吉の冥福を祈る為建立した寺院。徳川家康の多大な財政的援助で寺は壮観を極めたと云うが、その後の火災で多くを失った。桜の季節は枝垂れ桜が美しいがライトアップされた紅葉は幻想的だ。11月29日撮影

毘沙門堂

Img_0005_2 寛永5年(1605)後陽成天皇の勅により徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ天海大僧正,公海大僧正に至って再興された。山科疏水から北へ進んだところにある天台宗五門跡の一つとなった古刹でこの春桜の景色を拙ブログで紹介したが紅葉も素晴らしいところだった。12月2日撮影。

双林院(山科聖天)

Img_0006 毘沙門堂塔頭の一院で毘沙門堂と同年に建立されたようだ。当初本尊には湖東三山の西明寺より迎えた阿弥陀如来を安置していたが、後明治元年に聖天堂を建立し大聖歓喜天を本尊としている。毘沙門堂の裏から降りる坂道から眺める紅葉が素晴らしかった12月2日撮影。

御陵・天智天皇山科稜

Img_0004 琵琶湖疏水を抜ける道を下がった所に在る。大化の改新で有名な中大兄皇子(天智天皇)の墓で考古学上は”御陵野古墳”と呼ばれる。御陵の入り口にあるモミジが美しかったので撮ったが紅葉の名所とは言えない。12月2日撮影。

宝厳院

Img_0007 臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院で寛正2年(1461)室町幕府の官領・細川頼之公により天龍寺開山夢窓国師の大三世法孫聖仲永光禅師を開山に迎え創建。庭園は室町時代に中国へ2度渡った策彦周良禅僧による作庭で嵐山を巧みに取り入れた借景庭園で門前の”嵐山羅漢”の紅葉が美しかった。12月5日撮影。

車折神社

Img_0009 平安時代後期の学者・清原頼業を祀る後嵯峨天皇が社前を通りかかった際、御車のかなえが折れ神意を畏れてこの名がついた。商売繁盛の神様で桜も美しいが紅葉の名所でバスで観光客が来ていたのに驚いた。境内にある芸能神社は芸事の神様として多くの芸能人が周囲の玉垣に名を記していた。12月5日撮影。

鹿王院

Img 足利義満が康歴2年(1380)宝憧寺の塔頭として建立。本山は衰退しこの一院だけが残った。京都十刹第五の名刹。京福電鉄(嵐電)車折神社の一駅嵐山寄りにある隠れた紅葉の名所だろう。苔生した庭園が美しく参道を覆うモミジが素晴らしかった。女性専用(¥4500)の宿坊もある12月5日撮影。

ホテル嵐亭

Img_0001 京阪電鉄の子会社京都センチュリーホテルから森トラストが11月25日買収した名門料理旅館。明治期に造営された建築物を残し伝統と格式を継承しながら再生すると云うが京都人にとっては寂しいことだ。あの美しかった日本庭園の紅葉も盛りを過ぎ、僅かに入り口のモミジだけが残っていた。12月5日撮影。 

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