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2012年5月

トルコ旅行(2012・6)

12年振り2回目の訪問になるが今回はトルコ航空のビジネスクラスでゆっくり楽しむ事にした。多くの遺跡群を歩くので足腰の鍛錬をし、体調も整えた為か意外とリラックスした旅だった。そんな旅の一コマを紹介します。

アクロポリス(ベルガマ)
Img_0001 ヘレニズム時代からベルガモン王国の首都として栄華を極め、エジプトのアレキサンドリアに匹敵する学芸の中心地ベルガマの丘の上にある古代遺跡。急な斜面に都市としての機能が整って居り、収容人員15000人、客席82列の劇場跡はギリシャ本土にもこれ程急斜面を持つ劇場は見当たらないと云う迫力ある遺跡だった。
エフエソス都市遺跡(エフエソス)
Img_0002 小アジア最大の古代都市遺跡群。ギリシャ時代、小アジア最大の都市国家として君臨したエフエソスには野外劇場、図書館、アゴラ、浴場の他,公衆トイレ跡などもあったが最も当時に近い形で復元されたセルシウス図書館は素晴らしかった。花や女性像の彫刻が細部に施され、当時アレキサンドリア、ベルガマと並ぶ世界3大図書館の一つといわれるそうだ。
パムッカレ世界遺産
Img_0009 パムッカレとは”綿の城”の意味で、かって綿の産地であった事に由来するようだ。トルコ有数の温泉地で、段々に連なる真っ白な石灰棚に溜まった温泉水の池が刻々と変化する空の色を映す奇観だ。12年前に比し温泉水は少なかったがロープが張られていなかったのが好感。
メプラーナ博物館・霊廟(コンヤ)
Img_0003 コンヤは11~13世紀セルジューク・トルコ帝国の都として隆盛を極めた古都。かって東方から科学者、芸術家、建築家が集められ数々の神学校やモスクが建築された遺跡が残る。またイスラム神秘主義教団”メプラーナ教”発祥の地でもある。施舞教団として有名なメプラーナの始祖が祀られて居り現在は博物館。青緑のタイルで飾られた霊廟が目を引き、街の至る所で手を広げて踊っている独特の衣装の人形が並んでいた。
ライトアップされた奇岩世界遺産・カッパドキア)
Img_0008カッパドキアとは 首都アンカラを中心とする中央アナトリア地方の名称で、南北50kmに及び小さな村が点在している。太古の昔、火山の噴火によって堆積した溶岩や火山灰が長い年月の間に浸食され出来た奇岩群で、今回泊まった洞窟ホテル近くの奇岩がライトアップされていた。
ギョレメ野外博物館世界遺産・カッパドキア)
Img_0004

古代ローマ時代、この辺りにキリスト教徒が岩を掘って住み始め、岩の中に数多くの洞窟教会を造って信仰を守り続けたギョレメの谷には約30の教会があり、11世紀に建てられたにしては保存状態も良く内部のフレスコ画が見事だった。
ゼルヴエ野外博物館世界遺産・カッパドキア)
Img_0006 奇観のキノコ岩が連なる地域。古くからキリスト教の修道士たちが住み、ぶどうの教会(ウズムル・ギリセ)など初期キリスト教時代の教会も見られた。1950年代まで人が住んでいたが現在は廃村。
アタチュルク廟(アンカラ)
Img_0011_2 トルコ共和国創立者ムスタフア・ケマル・アタチュルクが眠る霊廟。広場の左側にある大きな霊廟に棺が納められ丁度衛兵交代の儀式が行われていた。回廊は博物館になって居りアタチュルクの銅像や直筆の書、各国要人の贈り物等が展示されていた。
アヤ・ソフイア世界遺産・イスタンプール)
Img_0014ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂として建立されたが、オスマン帝国が征服した後はイスラム教のモスクとなった。偶像崇拝を禁止するイスラムの教えに背くことからモザイク画の数々が500年もの間漆喰で塗りつぶされていた。トルコ共和国時代になって大修復をし昔の姿をほぼ取り戻し”キリストを抱いた聖母マリア”を始めビザンチン帝国の栄華をしのばせる博物館として公開されていた。
スルタン・アフメット・ジャーミイ(ブルーモスク)(イスタンブール)
Img_0015 トルコ帝国が栄華を誇った17世紀初めにアフメット1世によって建てられたイスラム寺院巨大なドームの周囲に建つ6本のミナレット(尖塔)が印象的だった。ドーム内部はイズニックと云う街で造られた青い花柄のタイルがびっしりと飾られ、その美しさからブルーモスクと呼ばれるが世界で唯一6本のミナレットを持つ外観も素晴らしかった。
トプカプ宮殿(イスタンブール)
Img_0013 15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設し、スルタン(オスマン帝国の皇帝)が増築しながら約400年にわたって居城とした。広大な敷地は4つの庭園エリアに分かれ、それを取り囲む建物が博物館になって居り、86カラットのダイヤモンド等が飾られていた。写真はタイル装飾が美しかった”ハーレム”の入り口。
地下宮殿(イスタンブール)
Img_0012 イスタンプールには戦争時、水に困らないように建設された貯水槽が数多くある。中でも巨大なのがビザンチン時代に造られたイエレバタン・サライ地下貯水池は最も壮大で地下宮殿と呼ばれる。水道橋から引いた水を此処に蓄え、トプカプ宮殿に供給したと云う。メデユーサの顔が彫られたもの等装飾の施された柱が336本建ち並ぶ景色は素晴らしかった。映画”007ロシアより愛をこめて”でアクションシーンの撮影に使われた
ドルマバフチエ宮殿(イスタンブール)
Img_0016 ボスポラス海峡沿いにあるオスマン帝国最後の宮殿。1859年にスルタン・アブドウル・メジトがトプカプ宮殿に代わる近代的な宮殿建設を命じ、オスマン帝国末期のスルタンの居城とされた。トルコ共和国初代大統領アタチュルクは執務中此処で亡くなり、今も宮殿内の時計の一部は彼の死亡時刻の9時5分で止められていた。流石にオスマントルコ絶頂期の宮殿だけあってベルサイユ宮殿に勝るとも劣らない豪華な内装だった。
トルコ陶器
Img_0018トルコ陶器ではイズニック・タイルが知られ、かっては多くのモスクの壁を色鮮やかに飾ったが18世紀以降オスマン朝が衰退するとタイルの生産も徐々に衰退し ていった。その伝統技術を復活させトルコ独特の鮮やかな色彩感覚で色付けされた陶器が素晴らしかった。そして細かい幾何学模様を描く女性が美しかった。
ドンドウルマ(トルコ・アイス)
Img_0017トルコの氷菓。トルコ語で“凍らせたもの”の意味で、一般的なアイスクリームに似ているが粘りがあり砂糖、羊乳、サーレップ(ラン科の植物)等を原料とする。繰り返し空気を含ませながら伸ばすと餅のような粘りが出る。店員が客にドンドウルマを渡す時、わざとひっくり返したり、受け取らせなかったり・・・と云ったフエイントをかけるパフオーマンスが楽しい。そんなに美味いものでもなかった 。

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四国松山・内子の旅(2012・5)

未だ現役だった23年前の丁度同じ連休の頃、レンタカーで道後観光をしたが記憶は薄れてしまった。今回は飛行機とJRを利用してノンビリ家族旅行を楽しんだ。そんな旅の一コマを紹介します。

道後温泉本館

Img_0001日本最古の歴史を誇る道後温泉のシンボル。木造3層楼の本館は明治27年に建てられ、同32年に桃山時代の建築を模した日本で唯一の皇室専用浴室を設け多くの人に愛され、平成6年には温泉施設として初めて国の重要文化財に指定ミシェラン“日本ガイド”の三つ星観光施設にも指定。23年前は本館前がもっと広かったが商店街のアーケードがせり出しすぎて風情が無くなっていた。

道後温泉駅

Img_0002 道後温泉の玄関口でもあるこの駅は明治の雰囲気をそのまま残し、情緒溢れる温泉街を演出していた。”坊っちゃん列車”の始発、終着駅にもなっており駅周辺では坊っちゃんやマドンナの姿をしたボランテイアが観光案内をしたり記念写真のモデルになったり大忙しだった。凡そ1時間に1本の”坊っちゃん列車”は人気が高く、整理券を発行しているが観光客ですぐ満員になってしまった。

坊っちゃん列車

Img_0003伊予鉄道が独クラウス社から購入し明治21年から約67年間松山市民の足として活躍した。当時は石炭機関車だったので黒い煙を出していたが環境面の配慮からジーゼルに切り替え、蒸気を煙に見立てて走っていた。夏目漱石の小説”坊っちゃん”の登場人物が利用し”マッチ箱のような汽車”と表現したことから愛称となった。終着駅では手動で方向転換させるのも楽しい。

伊佐爾波神社

Img_0004 松山三代藩主松平定長が将軍に命ぜられた流鏑馬の成功の褒美として寛永7年に建立された。楼門、回廊、弊殿、本殿から成る典型的な八幡造りの社殿で、本殿の朱塗りが素晴らしかった。日本三大八幡造りの一つ と説明されていたが三大八幡は京都の石清水八幡、大分の宇佐神社、福岡の筥崎宮と記憶するが異説があるのだろうか?
松山城
Img_0005 姫路城と並び連立式天守を持つ我が国最後の完全な城郭建築。加藤嘉明が寛永7年(1602)に完成。火災や戦禍で失われた櫓など木造で復元され、江戸時代以前に建築された天守が現存する全国12城の一つで100名城に選定。海抜132mの勝山山頂の本丸までリフトで上ったが中腹の二の丸、山麓の三の丸までの下りはきつかった。

坂の上ミュージアム
Img_0006_2 平成19年 安藤忠雄設計により司馬遼太郎の小説”坂の上の雲”のフイールド・ミュージアム構想の中の中核施設。松山出身の秋山好吉、寛之兄弟と俳人・正岡子規の3人の生涯を通じて近代国家として成長していく明治日本の姿を描いた博物館だが一つの小説をテーマに博物館まで作ってしまうとは? しかし明治と云う時代を判り易く説明しており好感を持てた。
萬翆荘
Img_0007坂の上の雲ミュージアム横の高台に建つフランス式建築物は大正11年旧松山藩主の子孫久松定護の別邸愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造りで平成23年国重要文化財に指定。ツツジが満開でお洒落な建物だった。
石手寺
Img_0008_2 四国88箇所霊場の第51番札所遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説縁の寺でお遍路姿の人達が多かった。神亀5年に聖武天皇の勅願で国司越智王純が創建。楼門の金剛力士像は運慶派の作、本尊の薬師如来は行基の作と云われ国宝、重要文化財が数多くある寺だ。ミシェランガイド(観光地)日本編の一つ星でもあるそうだ。

松山から特急で25分の内子は江戸から明治時代にかけて木蝋で栄え、黄色味を帯びた独特の漆喰壁が続く街並みは多彩な漆喰彫刻や虫籠窓など工夫を凝らしており国の重要伝統的建築物保存地区に選定されている。

内子座

Img_0009_2木蝋や生糸の生産で経済的ゆとりのある時代に、芸術、芸能を愛した人々の熱意で大正5年(1916)町内の有志達が資金を出し合って建てた芝居小屋。昭和60年に建設当時の姿に修理復元された。風格ある外観、花道や回り舞台等歌舞伎劇場の設備が整っており素晴らしかった。

木蝋資料館上芳我邸

Img木蝋生産で財をなした本芳我家の筆頭分家上芳我家の屋敷で、本家同様に江戸から明治期に木蝋で栄えた商家居住施設と木蝋生産施設合わせて10棟が国の重要文化財に指定され、邸内には木蝋生産工程を紹介し豪商の暮らしぶりが再現されていた。   

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