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2013年5月

岡山散策(2013・5)

連休後半、35年振りに岡山方面を旅してきました。ホテルグランヴィア岡山を拠点にJRで1時間、更にバスで1時間と随分山奥へ入ったり、倉敷や吉備路散策等楽しんできました。そんな旅の一コマを紹介します。

岡山城

Img_0002本格的な城造りのスタートとされる安土城に習って造られた日本を代表する城郭建築で、旭日川と後楽園を背景に天守台が北に大きく突き出た不等辺五角形の珍しい形だ。宇喜多直家の実子・秀家による築城で、外壁の下見板に黒漆が塗られ、太陽光が当たると烏の濡れ羽色に似ていることから”烏城”の別名がある。昭和6年に国宝に指定されたが昭和20年6月市街地空襲で天守閣、石山門を焼失。昭和41年鉄筋コンクリートつくりで再建されたものだが威風堂々として素晴らしい眺めだ。

岡山後楽園

Img_0001岡山藩主池田綱政公の命により元禄13年(1700)完成の大名庭園、かっては藩主の静養、賓客接待の場として使われたが明治17年(1884)岡山県に譲渡され一般公開された。昭和9年(1934)の水害、昭和20年の戦災では大被害を受けたが江戸時代の絵図に基づいて復旧。昭和27年”特別名勝”に指定。名称は岡山城の後に造られた園と云う意味で後園と呼ばれていたが”先憂後楽”の精神に基づいて造られていることから昭和4年(1871)後楽園と改められた日本三名園の一つ。連休中で人出が大変だったが、満開のツツジが素晴らしかった。

吹屋の街並み

Img_0003岡山から伯備線で一時間、更に高梁からボンネットバスで一時間の標高550mの山麓にあり江戸から明治にかけて中国筋第一の銅山の町で、更に江戸後期からベンガラ造りが栄え、幕末から明治にかけて”ベンガラの町”として知られるベンガラ格子に赤銅石の石州瓦、妻入の切妻型、平入型式等が印象的な商家、町家が建ち並ぶ素晴らしい街並みだった。(国指定重要伝統的建造物保存地区)

広兼邸

Img_0004大野呂の庄屋で享和、文化の頃、小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)の製造で巨大な富を築き、江戸末期に建てられた主屋、楼門と城郭にまがうばかりの石垣は今もそのまま当時の富豪ぶりを偲ばせる。映画”八つ墓村”のロケ地にも使われた所だがローカルバス便が少なく不便な所だった。(県指定重要文化財)

旧吹屋小学校

Img_0006校舎は明治33年(1900)から42年にかけて建築され平成24年(2012)廃校となるまで使われていたようで4日は内部も公開されるようだが外観しか見られなかった。夜はライトアップされ暗い山の中に浮かび上がる旧校舎は素晴らしいそうだが帰れなくなる。(県指定重要文化財)

備中松山城

Img_0005小松山の山頂(430m)に築かれており、天守の現存する山城としては随一の高さを誇るようで途中までタクシーを利用したが上り下りが大変だった。城内には天守、二重櫓、土塀の一部が現存し昭和25年重要文化財に指定。城の歴史は古く鎌倉時代の延応2年(1240)に秋庭三郎重信により砦が築かれた事に始まり、毛利氏の東方進出の拠点として備中の要衝としての役割を担ったようだ。現存する天守は天和3年(1683)に水谷勝宗により修築されたものだが天然の岩場を利用した石垣が素晴らしかった。(国指定重要文化財)

武家屋敷

Img_0007備中松山城を下山すると250mに亘って武家屋敷が並んでおり石火矢町ふるさと村として岡山県の指定を受けており、路地の両脇には白壁の長屋門や土塀が続き当時の生活の面影がしのばれる。2軒の武家屋敷が公開されていたが新鮮味はなかった。

倉敷の街並み

Img_0008戸時代天領として栄え倉敷川には多くの船が行き交い、綿や米の集積地として発展した川沿いには豊かな商人の町家や土塀が建ち並ぶ。大正時代に入ると柳宗悦を中心に民芸運動が盛んになり、昭和初期には実業家・大原孫三郎が日本初の西洋美術館を設立するなど文化的にも発展した街だ。白壁の蔵に柳が揺れる倉敷川沿いの大原美術館、大原家住宅、弁隣荘等がライトアップされており昼間の喧騒が嘘のようだった。














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