« 2013年7月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月

軽井沢散策(2013・8)

久しぶりの軽井沢で避暑を楽しんできました。現役時代は軽井沢72ゴルフでよくプレーを楽しんだが、今回はプリンス・グランドリゾート軽井沢に泊って高原散策を楽しむ事にした。長野新幹線に替わってから駅及びその周辺はスッカリ変わってしまい以前の景色が思い出せない。駅前は軽井沢ゴルフコースの9ホールをプリンス・ショッピングプラザに変えアウトレットショッピング等家族連れで楽しむ施設で一杯だった。旧信越線の廃線跡を碓氷峠迄”廃線跡アプト遊歩道”になっており、トレッキングに初挑戦したが炎天下で結構厳しかった。そんな旅の一コマを紹介します。

軽井沢聖パウロ・カトリック教会

Img_0001昭和10年(1936)英国人ワード神父によって設立されたカトリック教会。近代建築の巨匠アントニン・レーモンド設計による教会で、銅版の傾斜の強い屋根と打ちっ放しのコンクリート壁が特徴。1961年から現在まで半世紀に亘りカルロス・マルチネス神父が主司祭を務めているそうだ。堀辰夫の小説にも登場する教会。

軽井沢ショー記念礼拝堂

Img_0002軽井沢開発の父と呼ばれる英国国教会(聖公会)司祭アレキサンダー・クロフト・ショー宣教師によって明治28年に建てられた木立の中に佇む軽井沢最古の教会。カンタベリー大聖堂を母教会とする由緒ある礼拝堂だが現在は別の地に教会がある。30年程前に訪れた事があるが周辺は随分整備されていた。

万平ホテル

Img_0004江戸後期より中山道で旅館業を生業としていた”亀屋”が前身。軽井沢を世界に紹介したカナダ人・英国聖公会宣教師ACショーが軽井沢を訪れたとき、万平2代目佐藤国三郎と親交を深め、外国人の為の洋風ホテルの必要性を感じ1891年創業したホテル。

碓氷関所跡

Img_00051616年江戸幕府によって設置。中山道は重要な交通路であった為関東入国の関門として”入鉄砲と出女”を厳しく監視したようだ。関所の西門は徳川幕府、東門は安中藩が管轄した国境の関所跡で写真は昭和35年に復元した東門。箱根の関所と並ぶ日本三大関所跡の一つ

旧丸山変電所

Img_0006碓氷峠を行き来する列車に電力を供給する為明治44年建設した機械室棟と蓄電池室は平成6年に国の重要文化財に指定された。反対側に”峠のトロッコ列車”の駅があった。

碓氷峠の”めがね橋”

Img_00071997年新幹線開通により廃線になった旧信越線の横川駅ー熊の平間6・1kmを”遊歩道アプトの道”としてトレッキングコースになっていた。幾つかトンネルを過ぎると明治25年完成の赤レンガ4連アーチ橋・碓氷第3橋(めがね橋)が見えた。径間数4、長さ91m、高さ31mの国内最大の煉瓦造りアーチ橋は迫力があった。

中山道坂本宿

Img_0010この宿場は既存の集落が発展して出来たのではなく寛永2年(1625)3代将軍家光の時代に中山道整備の為、安中、高崎藩の領民を移住させ計画的に作られた宿場町で、当時は碓氷峠を越えてきた旅人で賑わったようだ。本陣2軒、脇本陣4軒があったようだが宿場の面影は少なく所々に旅籠が点在していたが表だけで普通の民家に改築され、空き家も多く町は寂れていた。

軽井沢高原教会

Img_0008_31886年英国国教会宣教師ACショーがこの地を訪れて以来キリスト教が根付き、大正10年(1921)に開かれた”芸術自由教会講習会”を原点に誕生した。前身だった質素な講堂にキリスト教思想家内村鑑三始め北原白秋、島崎藤村等が集い”星野遊学堂”の文化的営みが始まった。大戦後これが”軽井沢高原教会”と改名したもの。

軽井沢石の教会

Img_0009_3内村鑑三の無教会思想から生まれた自然の中に居て、自然の一部になったような自由な空間のオーガニック建築を唱っており、祭壇も十字架もない教会。”祈りたい人が自由に集う場所”を原点にした形式に囚われない所が受けるのか結婚式が目白押しで中々礼拝堂には入れなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年10月 »