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2014年3月

梅花巡り(2014・3)

今年も寒さ厳しい冬だったので梅の開花も遅れるだろうと思いつつ、我が家の梅が咲いたので京都の隠れ名所を巡ってきました。やはり早すぎたようで寂しい咲き方だったが、そんな一コマを紹介します。

下賀茂神社(世界遺産(左京区下賀茂泉川町)

001正式名は賀茂御祖神社と云い、祭神は賀茂建角身命で平安京が造営される以前から神聖な場所だった。境内の御手洗川に架かる側にある梅を”光琳の梅”と呼び、尾形光琳が”紅白梅図屏風”(国宝)に描いた梅と云われる。丁度流し雛の祭事の日だったので観光客がいっぱいで中々梅に近付けなかった。未だ咲き始めで、2週間程早かったようだ。(3月3日撮影)

妙顕寺(寺の内通り新町西入る)

003具足山と号し、日蓮宗の大本山の一つ。日像上人が元享元年(1321)京都における日蓮宗最初の道場として御溝傍今小路に創建したのが始まりだが、度々の法難と災禍の為、寺地も転々とし秀吉の都市計画で現在地に移された。寺域内には尾形光琳の墓もある。丁度”冬の京都の旅”の期間中で3月9日まで一般人は庭園内には入れなかった。仕方なく本堂左側にある梅を狙ったが、未だ5分咲き程度だった。(3月3日撮影)

水火天満宮(上京区堀川通り上御霊前上る)

005延長1年(923)醍醐天皇の勅願により菅原道真の神霊を祀ったと伝わる。水難、火難除けの神として知られ、上京区天神町にあったが堀川通りの拡張に伴い昭和25年現在地に移転した。境内には菅公が降り立ったと云う登天石があった。鳥居横の桜が美しい所だが、梅は1本しかなく寂しかった。(3月3日撮影)

文子天満宮(下京区間之町通り花屋町下る)

006祭神として菅原道真を祀り、洛陽天満宮25社の一つに数えられる。延喜3年(903)道真は福岡で59歳で没したが、没後、乳母多治比文子は”我を右近の馬場に祀れ”との道真の託宜を受けたが、文子は貧しく社殿を建立することができず右京七条三坊の自宅に小祠を建て道真を祀ったのが当社の起源で、北野天満宮の前身と云われる。現在の社殿は大正7年(1918)に造営されたもので近時パワースポットとして女性に人気のようだ。梅は鳥居横に1本あるだけで寂しい。(3月3日撮影)

法住寺東山区三十三間堂廻り町)

001平安中期、藤原為光によって創設された天台宗の寺。かって大きな寺領を誇る 法住寺殿があり、後白河法皇が御所を作ると共に、自分の死後を守る墓を敷地内に造営した。墓に対峙するよう蓮華法院(三十三間堂)を建てたもので、三十三間堂は元々は法住寺殿内のお堂の一つである。境内の紅梅が有名なようだが未だ蕾だったので門前の白梅を撮った。(3月11日撮影)

智積院東山区瓦町)

002真言宗智山派本山南北朝の頃創建された紀州根来山の学頭寺院が起こりで、天正13年(1585)兵火に遭い、難を京都に避けた。豊臣秀吉の愛児鶴松の菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺の寺領を徳川家康が寄進し五百仏山根来智積院と改め仏教研学の道場として栄えた。長谷川等伯の桜(国宝)等極採色の障壁画を展示していた。(3月11日撮影)

清水寺世界遺産)(東山区清水1丁目)

006_3北法相宗の本山。宝亀9年(778)延鎮上人が開山。円歴7年(798)坂上田村麻呂の創建。音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。主な堂塔は寛永10年(1633)徳川家光が再建した”清水の舞台”で知られる本堂(国宝)が有名だが境内には梅はなかった。仁王門横の白梅を狙った(3月11日撮影)

安養寺(東山区八坂鳥居前東入る円山町)

007_2最澄が創建。吉水坊と称し、法然が30数年間此処を本拠に称名念仏を宣揚。親鸞も入信したが専修念仏弾圧で荒廃。至徳2年(1385)国阿が入寺、時宗に改めて興隆したが明治後期に焼失。今は本堂、書院弁天堂と料亭(左阿弥)を残すのみだが、同寺の山号慈円山が円山公園の名称のもととなった。門前の紅梅が美しかった。(3月11日撮影)

聴松院(左京区南禅寺福地町)

011_4南禅寺境内の北西にある塔頭。臨済宗南禅寺派の大本山。本尊は摩利支天を安置する。開運勝利、福利円満、万難消除等の信仰を集める。以前は湯豆腐をやっていたので気付かなかったが本堂横の老梅が見事だった。既に盛りを過ぎていた。(3月11日撮影)

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