« 木曽路散策(2014・5) | トップページ | 絶滅危惧種の動物切手・シリーズ6 (2014・7) »

紫陽花巡り(2014・6)

鎌倉の紫陽花が見事だと聞き、久しぶりに梅雨空の東京へ向かったが北関東は大荒れ天気で雹が降ったようだ。幸い鎌倉は晴天だったが観光客が多くシャッターチャンスが難しい。そんな一コマを紹介します。

白山神社(本郷)

004創開は古く天歴年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷1丁目に勧請したと伝わる。綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。約3000株の各種紫陽花が神社境内から白山公園にかけて見事に彩っていた。6月7~15日に文京区紫陽花祭りがあったようだが既に終わっており苑は閉まっていた。

旧岩崎邸庭園(上野)

008三菱財閥岩崎家本邸。明治29年(1896)岩崎弥太郎の長男で三菱第3代社長久弥の本邸として西欧建築の父ともいわれる英国の建築家ジョサイア・コンドルの設計で建てられた。1万5千坪の敷地に20棟の建物が並んでいたと云う。戦後GHQに接収され、返還後昭和27年(1952)国有財産となり国の重要文化財に指定。紫陽花は余りなかったが建物の素晴らしさに圧倒された。

浜離宮恩賜庭園(新橋)

032この地は元はアシの生い繁る将軍家鷹狩の場だった。海水を引き入れた潮水の池と、二つの鴨場が今も残っているが江戸時代には江戸城の“出城”の機能を有していた。承応3年(1654)将軍家鷹狩場として海を埋め立て甲府浜屋敷を建てた。綱豊の時、将軍家の別邸となり”浜御殿”と呼ばれるようになった。新橋新都心の建ち並ぶオフイスビルから見下せる景色だが広すぎて散策だけで疲れる。

明月院(北鎌倉)

016永歴元年(1160)平冶の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養の為創建された。その後北条時宗が最明寺を前身として再興。足利3代将軍義満が天下の時には関東10刹の一位となった。国指定の史跡で北鎌倉を代表する紫陽花の名所だ。

長谷寺(鎌倉)

020本尊の十一面観世音菩薩、通称”長谷観音”は奈良時代に樟の霊木より創出したと伝わる。像高9・18m本邦最大級の木造観音が有名で、四季折々の花木の美しい寺だが、苑山の頂から見下ろす相模湾の雄大な景色と咲き乱れる各種紫陽花のコラボが見事だった。休日は2~3時間待ちの長蛇の観光客が続くようだ。

成就院(極楽寺)

027平安時代初期、真言宗開祖・弘法大師がこの地を訪れ、景勝地だったこの地で数日間護摩供養・虚空蔵菩薩求開持法を修したと云う霊跡に、承久元年(1219)北条泰時が京都より高僧を招き、不動明王を祀り、寺を建立した。山上の本堂付近から眺める紫陽花園の向こうに広がる由比ケ浜の壮大な景観は素晴しかった。






|

« 木曽路散策(2014・5) | トップページ | 絶滅危惧種の動物切手・シリーズ6 (2014・7) »

趣味」カテゴリの記事

コメント

江戸と鎌倉散策、拝見しました。
この時期の鎌倉は人が多くて大変だったでしょうが、
ご丁寧な説明で改めて当方も勉強になりました。

何時もご覧いただき有難うございます。相変わらずこんなことをしています。

投稿: 磯のすー | 2014年7月 2日 (水) 10時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/397473/56626034

この記事へのトラックバック一覧です: 紫陽花巡り(2014・6):

« 木曽路散策(2014・5) | トップページ | 絶滅危惧種の動物切手・シリーズ6 (2014・7) »