趣味

紫陽花巡り(2014・6)

鎌倉の紫陽花が見事だと聞き、久しぶりに梅雨空の東京へ向かったが北関東は大荒れ天気で雹が降ったようだ。幸い鎌倉は晴天だったが観光客が多くシャッターチャンスが難しい。そんな一コマを紹介します。

白山神社(本郷)

004創開は古く天歴年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷1丁目に勧請したと伝わる。綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。約3000株の各種紫陽花が神社境内から白山公園にかけて見事に彩っていた。6月7~15日に文京区紫陽花祭りがあったようだが既に終わっており苑は閉まっていた。

旧岩崎邸庭園(上野)

008三菱財閥岩崎家本邸。明治29年(1896)岩崎弥太郎の長男で三菱第3代社長久弥の本邸として西欧建築の父ともいわれる英国の建築家ジョサイア・コンドルの設計で建てられた。1万5千坪の敷地に20棟の建物が並んでいたと云う。戦後GHQに接収され、返還後昭和27年(1952)国有財産となり国の重要文化財に指定。紫陽花は余りなかったが建物の素晴らしさに圧倒された。

浜離宮恩賜庭園(新橋)

032この地は元はアシの生い繁る将軍家鷹狩の場だった。海水を引き入れた潮水の池と、二つの鴨場が今も残っているが江戸時代には江戸城の“出城”の機能を有していた。承応3年(1654)将軍家鷹狩場として海を埋め立て甲府浜屋敷を建てた。綱豊の時、将軍家の別邸となり”浜御殿”と呼ばれるようになった。新橋新都心の建ち並ぶオフイスビルから見下せる景色だが広すぎて散策だけで疲れる。

明月院(北鎌倉)

016永歴元年(1160)平冶の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養の為創建された。その後北条時宗が最明寺を前身として再興。足利3代将軍義満が天下の時には関東10刹の一位となった。国指定の史跡で北鎌倉を代表する紫陽花の名所だ。

長谷寺(鎌倉)

020本尊の十一面観世音菩薩、通称”長谷観音”は奈良時代に樟の霊木より創出したと伝わる。像高9・18m本邦最大級の木造観音が有名で、四季折々の花木の美しい寺だが、苑山の頂から見下ろす相模湾の雄大な景色と咲き乱れる各種紫陽花のコラボが見事だった。休日は2~3時間待ちの長蛇の観光客が続くようだ。

成就院(極楽寺)

027平安時代初期、真言宗開祖・弘法大師がこの地を訪れ、景勝地だったこの地で数日間護摩供養・虚空蔵菩薩求開持法を修したと云う霊跡に、承久元年(1219)北条泰時が京都より高僧を招き、不動明王を祀り、寺を建立した。山上の本堂付近から眺める紫陽花園の向こうに広がる由比ケ浜の壮大な景観は素晴しかった。






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春爛漫(2014・4)

今年で5回目になる桜シリーズだが、観光客が余り行かない京都の隠れスポットを巡ってきました。今年は急に暖かくなり一斉に開花した感じで、天候は不安定だったが良い花見を楽しめた。そんな一コマを紹介します。

大石神社

002山科にある大石内蔵助縁の史跡だが、御神木の大石桜はやや盛りを過ぎていたが見事だった。4月4~5日が桜祭りだが雨模様が気になる。宝物館には討ち入り姿を描いた”四十七士図屏風”や内蔵助直筆の書等、赤穂浪士縁の品が展示されていた。TV放映の歴代内蔵助役写真が片岡千恵蔵からキムタク迄展示されているのも面白かった。(4月3日撮影)

岩屋寺(旧大石寺)

004近畿36不動尊唯一の尼寺で大石神社の隣にある小さな寺。本尊は木造立像で秘仏だが大石良雄の念持仏大石良雄の遺髪塚や四十七士の位牌が祀られていた。討ち入りに旅立つ迄1年4カ月を過ごした山科閑居時の旧邸宅跡も境内にあった。跡地に咲く枝垂れ桜は大石桜の株分けをしたものとか?(4月3日撮影)

醍醐寺

011慶長3年(1598)3月15日豊臣秀吉が花見の宴を催したことで有名な京都有数の桜の名所で観光バスが数珠繋ぎだった。花見に先立ち近隣4カ国から700本の桜を求めて移植し、当日は900名程が満開の桜に酔ったそうだが、その5ヶ月後の8月18日に秀吉は他界した。醍醐山全山を寺域とし上醍醐から山裾の下醍醐迄80以上の諸堂が建ち並び、総門から仁王門にかけての”桜の馬場”はソメイヨシノや枝垂れ桜が咲き乱れる。4月12~13日が桜祭りだが、それまで保つかな?(4月3日撮影)

向日神社

018向日市にある創建養老2年(718)の古社。向日山に鎮座された向日神を奉る上ノ社(向神社)と火雷大神を奉る下ノ社(火雷神社)がある。本殿は1418年建造で室町時代の”三間社流造”様式の代表的建造物で国の重要文化財に指定されている。明治神宮本殿は当社本殿を1・5倍のスケールにした設計だとか?大鳥居から社殿に至る石畳の参道の桜が満開で見事だった。4月3~4日の桜祭りの準備に大童だった。(4月4日撮影)

宝積寺(宝寺)

023聖武天皇の勅願寺で僧行基の開基と伝わる。寺宝に龍神が伝えたと云う打出の小槌がある。十一面観音や閻魔王像等国の重文が多数ある。秀吉が山崎の合戦時に座ったとされる石が”出世石”として有名。JR山崎駅の前に位置し天王山ハイキングコースになっており満開の花見を兼ねたハイカーで賑わっていた。三重塔の前の枝垂れ桜が美しかった。(4月4に撮影)

伏見の十石船

029_4豊臣秀吉の伏見城築城に伴う建築資材を運ぶため宇治川の流域改修工事により造られた内陸の河川。寺田屋近くの大倉記念館の裏辺りから三栖の閘門辺りまでの宇治川に新緑の柳に並んで桜並木が続いている.酒蔵をバックに復元した十石船が浮かぶ景色は風情のある伏見の景色だ。(4月7日撮影)

御香宮神社

033_2平安期境内から病気に効く香水が湧き出たので清和天皇からこの名を賜ったと云う。桃山期の特色ある建築物の内表門や極採色彫刻の本殿は重文。神功皇后他を祀り、豊臣秀吉は伏見城の守り神とした。本殿横の枝垂れ桜が見事だったが周りを囲むように各種桜が咲き乱れていた。(4月7日撮影)

宝塔寺

041嘉祥年間(848~51)藤原基経が創建。(源氏物語にも登場する真言宗極楽寺が前身)。徳字2年(1307)住持良桂が日像に帰依し、日蓮宗に改宗。本堂は慶長13年(1608)の建立で、日蓮宗本堂としては京都最古で総門、多宝塔は重文。伏見稲荷からの細い道に沿って深草寄りにある寺で見事な桜が満開だった。(4月7日撮影)

養源院

003_2三十三間堂近くにある小さな寺で淀殿が創建血天井や俵谷宗達の”襖・杉戸絵”が有名で結構観光客が来ていた。参道には樹齢200年のヤマサクラや本堂前にある2本のベニヤエの枝垂れ桜が美しかった。少し盛りを過ぎていたが京都らしい桜だ。(4月9日撮影)

建仁寺

010臨済宗の開祖・栄西禅師が建仁2年(1202)に開いた京都最初の禅寺。刺使門、三門、法堂、本坊が一直線に並ぶ境内は静寂で祇園の繁華街のすぐ南にあることを忘れてしまう。境内には枝垂れ桜とソメイヨシノが10本あるだけだが何れも見事な枝ぶりで満開だった。歌舞練場に向かう塀越しに見える桜がひときわ印象的だった。(4月9日撮影)

祇園白川

014桜の名所の多い京都で最も艶麗な桜は祇園白川の桜だろうお茶屋の千本格子や簾の奥に灯が灯り始める夕暮れ時が最も好きだ。丁度満開で多くの観光客が写真撮影を楽しんでいたが、中でも驚いたのが舞妓姿や花嫁衣裳を着飾った外人の多いことだ。結婚記念にウエッデイングドレス姿や和装の花嫁衣装を着て、プロのカメラマンによる撮影が盛んだった。日本人も2組程花嫁衣装で撮っていた。(4月9日撮影)

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梅花巡り(2014・3)

今年も寒さ厳しい冬だったので梅の開花も遅れるだろうと思いつつ、我が家の梅が咲いたので京都の隠れ名所を巡ってきました。やはり早すぎたようで寂しい咲き方だったが、そんな一コマを紹介します。

下賀茂神社(世界遺産(左京区下賀茂泉川町)

001正式名は賀茂御祖神社と云い、祭神は賀茂建角身命で平安京が造営される以前から神聖な場所だった。境内の御手洗川に架かる側にある梅を”光琳の梅”と呼び、尾形光琳が”紅白梅図屏風”(国宝)に描いた梅と云われる。丁度流し雛の祭事の日だったので観光客がいっぱいで中々梅に近付けなかった。未だ咲き始めで、2週間程早かったようだ。(3月3日撮影)

妙顕寺(寺の内通り新町西入る)

003具足山と号し、日蓮宗の大本山の一つ。日像上人が元享元年(1321)京都における日蓮宗最初の道場として御溝傍今小路に創建したのが始まりだが、度々の法難と災禍の為、寺地も転々とし秀吉の都市計画で現在地に移された。寺域内には尾形光琳の墓もある。丁度”冬の京都の旅”の期間中で3月9日まで一般人は庭園内には入れなかった。仕方なく本堂左側にある梅を狙ったが、未だ5分咲き程度だった。(3月3日撮影)

水火天満宮(上京区堀川通り上御霊前上る)

005延長1年(923)醍醐天皇の勅願により菅原道真の神霊を祀ったと伝わる。水難、火難除けの神として知られ、上京区天神町にあったが堀川通りの拡張に伴い昭和25年現在地に移転した。境内には菅公が降り立ったと云う登天石があった。鳥居横の桜が美しい所だが、梅は1本しかなく寂しかった。(3月3日撮影)

文子天満宮(下京区間之町通り花屋町下る)

006祭神として菅原道真を祀り、洛陽天満宮25社の一つに数えられる。延喜3年(903)道真は福岡で59歳で没したが、没後、乳母多治比文子は”我を右近の馬場に祀れ”との道真の託宜を受けたが、文子は貧しく社殿を建立することができず右京七条三坊の自宅に小祠を建て道真を祀ったのが当社の起源で、北野天満宮の前身と云われる。現在の社殿は大正7年(1918)に造営されたもので近時パワースポットとして女性に人気のようだ。梅は鳥居横に1本あるだけで寂しい。(3月3日撮影)

法住寺東山区三十三間堂廻り町)

001平安中期、藤原為光によって創設された天台宗の寺。かって大きな寺領を誇る 法住寺殿があり、後白河法皇が御所を作ると共に、自分の死後を守る墓を敷地内に造営した。墓に対峙するよう蓮華法院(三十三間堂)を建てたもので、三十三間堂は元々は法住寺殿内のお堂の一つである。境内の紅梅が有名なようだが未だ蕾だったので門前の白梅を撮った。(3月11日撮影)

智積院東山区瓦町)

002真言宗智山派本山南北朝の頃創建された紀州根来山の学頭寺院が起こりで、天正13年(1585)兵火に遭い、難を京都に避けた。豊臣秀吉の愛児鶴松の菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺の寺領を徳川家康が寄進し五百仏山根来智積院と改め仏教研学の道場として栄えた。長谷川等伯の桜(国宝)等極採色の障壁画を展示していた。(3月11日撮影)

清水寺世界遺産)(東山区清水1丁目)

006_3北法相宗の本山。宝亀9年(778)延鎮上人が開山。円歴7年(798)坂上田村麻呂の創建。音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。主な堂塔は寛永10年(1633)徳川家光が再建した”清水の舞台”で知られる本堂(国宝)が有名だが境内には梅はなかった。仁王門横の白梅を狙った(3月11日撮影)

安養寺(東山区八坂鳥居前東入る円山町)

007_2最澄が創建。吉水坊と称し、法然が30数年間此処を本拠に称名念仏を宣揚。親鸞も入信したが専修念仏弾圧で荒廃。至徳2年(1385)国阿が入寺、時宗に改めて興隆したが明治後期に焼失。今は本堂、書院弁天堂と料亭(左阿弥)を残すのみだが、同寺の山号慈円山が円山公園の名称のもととなった。門前の紅梅が美しかった。(3月11日撮影)

聴松院(左京区南禅寺福地町)

011_4南禅寺境内の北西にある塔頭。臨済宗南禅寺派の大本山。本尊は摩利支天を安置する。開運勝利、福利円満、万難消除等の信仰を集める。以前は湯豆腐をやっていたので気付かなかったが本堂横の老梅が見事だった。既に盛りを過ぎていた。(3月11日撮影)

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紅葉めぐり(2013・11)

今夏の猛暑と長引く残暑の影響からか今年の紅葉はいまいちだった。短い秋を求めて放浪したが不完全燃焼の紅葉狩だった。そんな駄作を紹介します。

鶏足寺(旧飯福寺)

Img_2飯福寺は735年行基が開基した古刹で、己高山鶏足寺の別院として名を連ね、中世には僧兵を擁する程の大寺で湖北仏教文化圏を形成していたが時代の推移で朽ち果て昭和8年には本堂も焼失してしまった。緩やかな参道の石段、両側の苔むした石垣等往時を偲ぶ事が出来、境内をうねる200本の楓が紅葉していたが降りしきる雨が寒かった。観光ポスターに見られる参道を落ち葉で埋め尽くす光景は未だ早かった。(11月21日撮影)

愛宕念仏寺

002称徳天皇(764~770)の開基により山城国愛宕寺として建立したが平安朝の初め鴨川の洪水で流失。その後天台宗の千観によって再興され天台宗比叡山の末寺となり等覚山愛宕院と号した。千観は生涯仏名を唱えて絶える事がなかったので念仏上人と言われ、当寺を愛宕念仏寺と称す。清滝へ向かうトンネルの手前にある。紅葉は少し盛りを過ぎていたが例年に比し鮮やかさがないとの事だった。(11月23日撮影)

鳥居本

005_3奥嵯峨野の化野念仏寺を更に山寄りに行くと朱塗りの大きな鳥居が見える。その足元に”鮎の宿・つたや”と鮎茶屋”平野屋”が昔ながらの茅葺屋根で風情がある。店先に床几を置き、暖簾と提灯を下げて愛宕神社の参拝客を迎える茶屋に紅葉が彩られ趣がある。(11月23日撮影)

厭離庵

006藤原定家が住んでいた山荘の旧跡で、小倉百人一首を編纂したところ。その後荒廃したが冷泉家が修復し臨済宗天竜寺派としたが明治維新後再び荒れてしまったのを、明治45年白木屋社長大林彦太郎が仏堂と庫裡を建立。山岡鉄舟の娘素心尼が住職に就き尼寺となった。二尊院の先の細い路地を入った処にある庵で紅葉シーズンのみ一般公開するようだ。(11月23日撮影)

野宮神社

008祭神は天照大神。かっては伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が3年間此処に籠って精進潔斎をする習わしがあったと云う。竹林の中に佇む小じんまりした社で”源氏物語”の”賢木の巻”の舞台になり、境内の黒木の鳥居と小柴垣に往時が偲ばれる。現在は縁結び・子宝安産の神として信仰を集めている。若い女性観光客が多く中国人観光客の多いのに驚いた。(11月23日撮影)

008嵐山渡月橋

013_3大堰川(桂川)に架かる長さ155m、幅11mの橋で1934年(昭和9年)竣工したものだが、オリジナルは9世紀前半に架橋され亀山上皇によって命名。5月の三船祭、7~8月の鵜飼、万灯流し等の風流を愛でる場所だが今年は18号台風が大荒れで橋が流されるのではないかと心配された。見事に復旧され観光客で賑わっていたのがうれしい。(11月23日撮影)

竜田川公園

001奈良県斑鳩町の南西部にある竜田川沿い約2kmが都市公園になっており、かって在原業平、能因法師等数多くの歌人に詠まれた紅葉の名所百人一首にも二首も選ばれている。紅葉祭りが12月初めなのでベスト時期のはずだが鮮やかさがなかった。(11月28日撮影)

光明寺

002_6298年法然上人の弟子蓮生法師が開基した京都西山浄土宗総本山。緑豊かな西山の麓に広がる境内は紅葉に染まり見事だった。盛りは少し過ぎていたが流石に紅葉の名所だ。土、日曜日は100台以上の観光バスが来たとか?この日は4台ほど駐車していたが入れ替わり立ち替わり観光バスが来ていた。(12月2日撮影)

山崎聖天(観音寺)

007_2JR山崎駅を下車し少し京都寄りにある寺で、開基は寛平法皇(宇多天皇)で近世の木喰以空を中興の祖とし、歓喜天を祀っている。豪商が此処に家運の隆盛を祈ったことで有名。桜の名所だが紅葉も素晴らしいが少し時期を失したようだ。本堂に至る急な階段を幾つも昇るのが大変だった本堂の裏側から天王山への登山道が続いておりハイキングコースとして楽しい。(12月2日撮影)

宝積寺(宝寺)

009_2聖武天皇の勅願寺で行基の開祖といわれる。寺堂に龍人が伝えたと云う打出の小槌がある。十一面観音や閻魔王像等、国の重文も多数あったが秀吉が天王山の戦いの折、座ったといわれる石が出世石と呼ばれるのが面白い。盛りは過ぎていたが見応えのある紅葉だった。(12月2日撮影)

アサヒビール山崎山荘美術館

014_2大正から昭和の初期に建てられた本館内には河井寛次郎他陶芸家の作品が展示され、隣接する安藤忠雄氏設計による”池中の宝石箱”と呼ばれる絵画館にはモネの”睡蓮”他が展示されている美術館へ至る紅葉のトンネルと庭が素晴らしかった(12月2日撮影)

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春爛漫(2013・4)

今回で4回目になる桜シリーズだが、今年はガイドブックにも余り載っていない京都の隠れた桜スポットを紹介します。例年より1週間ほど早咲きだったが結構長く持ったようだ。

大石神社

Img_0001赤穂義士大石内蔵助・良雄の義挙を顕彰する為、大石良雄を祭神として、大石隠棲の地に昭和10年京都府知事を会長とする大石神社建設会、山科義士会等が中心となり全国の崇敬者により創建された。境内には桜、紅葉等が多いが特に”大石桜”と呼ばれる枝垂れ桜(神木)は見事で、4月の第1日曜日に”さくら祭”が催されるようだが見事だった。(3月31日撮影)

岩屋寺(旧大石寺)

Img_0002近畿36不動尊唯一の尼寺で大石神社の隣にある小さな寺。本尊は木像立像で秘仏だが、大石良雄の念持仏。大石良雄の遺髪塚や四十七士の位牌が祀られていた。討ち入りに旅立つまでの1年4ヵ月間、大石良雄の山科閑居時の旧宅跡が境内にあった。跡地に咲く枝垂れ桜は”大石桜”の株分けしたもの。(3月31日撮影)

大豊神社

Img_0003仁和33年(887)宇多天皇の御脳平癒祈願の為、贈正一位和尚侍藤原淑子が勅命を奉じ、少彦名命を東山三十六峰、第十五峰目の椿ケ峰に奉祀して創建。後に応神天皇と菅原道真公が合祀されている。”ねずみの社”としても有名で哲学の道沿いにひっそりと佇む神社遅咲きの梅と満開の枝垂れ桜のコラボレーションが30年振りだと云う。TVで紹介された3日後に行ったが梅は散りかけていた(3月31日撮影)

真如堂

Img_0004永観2年(984)円融天皇の女御・藤原詮子の御願により比叡山の僧戒山上人により開基。正しくは”真正極楽寺”と云い”真如堂”は本堂の名前この本堂には京都六阿弥陀の一つである阿弥陀如来立像を安置している紅葉で有名な寺だが、境内には70本の桜があり、三重塔の隣の枝垂れ桜が有名だが門前の桜も見事だった。(3月31日撮影)

竹中稲荷神社

Img_0006東山三十六峰の一つ吉田山に抱かれた八百万の神を祀る吉田神社。この吉田山の山頂付近にあり朱塗りの鳥居の間を縫うように桜が咲いており、赤と白のコントラストが幻想的だった吉田神社の末社で宇賀御魂神、猿田彦神、天神女神を祀る。創建時の由来は不詳。天長年間(824~834)には社殿があったことが伺える古記もあり、江戸末期には多くの参詣者で賑わったようだ。(3月31日撮影)

本満寺

Img_0005出町柳界隈にある。京都御所から寄贈された西山門、出雲の戦国武将・山中鹿之助の墓がある日蓮宗本山で、本尊の日蓮自作と伝わる日蓮上人像が十界曼陀羅と共に安置されていた。創建は応永17年(1440)。本願満足寺と称していた。見事な枝垂れ桜が満開だった。(3月31日撮影)

上品蓮台寺

Img_0007千本北大路を少し下がった所にある小じんまりした境内の本堂前の紅枝垂れが見事なのだが少し早かった聖徳太子の開基と伝わる由緒ある寺。真言宗智山派の蓮華金宝山九品三昧院と号す寺院。応仁の乱で焼失後文禄年間(1592~1596)豊臣秀吉の帰依を得て寺領110石で性盛上人によって復興された。(3月31日)

本法寺

Img_0008_3日蓮宗京都十六本山の一つ。開基は信仰規範の不受不施を唱えた日親上人。一条戻り橋の袂に立って辻説法を始めてから9年目の永享8年(1436)東洞院綾小路に建立。本阿弥光悦作とされる枯山水庭園”三つ巴の庭”が有名で又長谷川等伯の大涅槃図が公開されていた上京区小川通り寺の内にありソメイヨシノが彩る西陣の桜の名所境内の彼方此方に満開の桜が見事だった。(4月1日撮影)

妙顕寺

Img_0009_2上京区寺の内通り新町にある日蓮上人が京都で最初の日蓮宗道場として創建した由緒ある寺院で日蓮宗の大本山、塔頭が9院ある。門前の枝垂れ桜、参道の両脇を飾るソメイヨシノなど立派な大木が多く樹齢100年高さ7~8mの迫力ある桜等隠れ花見スポット。(4月1日撮影)

神泉苑

Img_0010_2東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音、不動明王、弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇の為の庭園)。当初は二条通りから三条通り迄、南北約500m、東西240mの大庭園だったようだ。794年に造営され812年桜の花見の宴が日本で初めて公式行事として行われた場所で、静御前と源義経が雨乞いを通じて出会った場所でもある。(4月1日撮影)

六孫王神社

Img_2清和天皇の孫・六孫王経基を祀る。経基の子・満仲の”八条亭”邸宅跡に霊廟を建て”六の宮”と称した。その後源実朝夫人が此処に寺を建て、その鎮守社となった。本殿の背後に経基の墓石がある。丁度京都駅の裏・壬生八条にあり上には新幹線が走る旧八条亭の池だった”神龍池”の周りに多品種の鮮やかな桜が咲き誇っていた。

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梅花巡り(2013・3)

例年はそろそろ春の兆しも見える頃だが、今年は寒さ厳しく家に籠りがちだ。3月に入り急に暖かくなったので梅を撮りに出かけたが開花も2週間程遅れていると云う。ガイドブックにも余り載っていない京都の路地裏の梅を見つけましたので紹介します。

大阪城公園梅園

Img_0001内濠の東側約1haに寒梅、八重野梅,南高、小梅、白加賀、紅千鳥等約100種類の梅が1270本植えられており早咲きは満開だったので近隣の人達で賑わっていた。この梅林は大阪府立北野高校の卒業生が開校100周年事業として22品種、880本を大阪市に寄付したことで昭和49年3月開園された由で、大阪城の桜は有名だが、こんな素晴らしい梅園があるとは新たな発見だった。(3月7日撮影)

大阪天満宮

Img_0002現在の本殿は天保14年(1843)に再建されたもので、江戸時代の記録に残るものだけで7度の火災に遭い、中でも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724)の如知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年(1837)の大火では全焼したようだ。本殿の梅は未だ蕾程度だったが天満宮の神官、神職および氏子、崇敬者の祖霊を祀る祖霊社及び前庭の梅が見事だった。(3月7日撮影)

天神橋

Img_0003大川に架かる橋で文禄3年(1594)の架橋とされ、当初は天満宮が管理していたが寛永11年(1634)他の主要な橋と共に幕府が管理する公儀橋となったようだ。難波橋、天満橋と共に浪華三大橋と称される。明治初期迄は木橋だったが明治18年(1885)の淀川大洪水により流失し、明治21年(1888)ドイツ製の部材を使い鋼鉄のトラス橋として架け替えられた由。鉄橋の橋名飾板が丁度祖霊社庭の横に保存され、覆い被さる梅が綺麗だった。(3月7日撮影)

上賀茂神社

Img_0006_2正式名称を”賀茂別雷神社”と言い、神代の時代から信仰を集めており、下鴨神社と共に賀茂氏の氏神として祀られており、葵祭りで有名な神社。インターネット情報で二の鳥居横の梅が美しいとあったので行ったが、京都の北は未だ寒く5分咲き程度で本殿も改装中だった。(3月12日撮影)

神光院(西賀茂)

Img_00047月に行われる”きうり加侍(きうり封じ)”で有名な寺。境内にはきうり塚もあった。弘法大師がきうりに病を封じ込め、五智不動尊に病気平癒を祈願したという。西賀茂の弘法さんとして親しまれている。真言宗で建保5年(1217)の創建。本尊弘法大師像は空海42歳の時の自彫の木像と伝わり、厄除け大師として信仰を集める。丁度木像のX線撮影をしており11時まで入山できなかった。写真誌に紹介されていたので行ったが、老木で未だ3分咲き程度だった。(3月12日撮影)

華光寺(出水の毘沙門)

Img_0005上京区出水通りを歩いていると鮮やかな梅の花が目にとまった。天正11年(1582)妙顕寺の12世日堯が隠居所として開創。豊臣秀吉が伏見城に安置していた毘沙門天像を寄進し寺の守護神とした。江戸時代以降この像が開運、厄除けの神として信仰を集める。境内の梵鐘は鎌倉後期の代表作で戦時中の供出を免れた京都府の文化財。鐘の下には秀吉手植えの松”時雨松”の古株が置かれているが、これが大正時代に枯死した松で、晴れた日でも枝から雫を落とすと伝わる出水の七不思議の一つ。(3月12日撮影)

地福寺

Img_0007西陣の中心地、上京区七本松出水にある小さな寺院だが”出水の七不思議”の“日限薬師”で知られる。創建は平安時代の初期、嵯峨天皇の弘仁年間(810~23)弘法大師空海の弟子、真済僧正が洛西安井村に創立し、享保12年(1727)現在の地に移した寺とのこと。穴の空いた小石を奉納して、日を決めて祈願すると耳の聞こえないのが治ると伝わる。偶々通りがかった寺だったが、塀の外に満開の梅が溢れていた。(3月12日撮影)

祐正寺

Img_0008写真集に見事な枝垂れ梅が載っていたので本日お目当てのポイントだ。少し盛りは過ぎていたが下立売七本松東入ルにある小さな寺だ。境内は縁結びの御利益がある“妻取り地蔵尊”が祀られていることから”妻取地蔵”の通称で知られるようだ。正式には大応山慈光院祐正寺と云う浄土宗大本山百万遍知恩院の末寺で、江戸時代の慶長7年(1602)円誉雲白上人により浄土宗念仏道場として創建されたようだ。境内には弁財天、大黒天、毘沙門天、稲荷大明神等が祀られていた。この近辺は名も知らない小さな寺が点在しており結構趣があった。(3月12日撮影)

梅宮大社

Img_0009松尾橋手前にある旧称梅宮神社。約1300年前、橘氏の祖諸兄公の母縣犬養三千代が山城国綴喜郡井手寺の中に橘氏一門の氏神として祀った。その後嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が今の地に移し梅宮祭りの起源となったようだ。延喜式の名神大社22社の中に列せられ、明治4年官幣中社となる。流石に神花が”梅”と”招福梅”の神社だけあって手入れも行き届き、神苑には梅、椿が咲き競っていた。八重桜、つつじ、杜若、花菖蒲,紫陽花と花の名所でもある。(3月12日撮影)

城南宮

平安遷都の際Img都の南に国の守護神として創建された神社。地元では方除けの神社として信仰が篤く、新築、転宅時には浄めの砂を授かりに詣る。枝垂れ梅は入母屋造りの総檜で出来た本殿西側の”春の山”庭園に拡がっており、植えられて年月は浅いとの事だが群生した枝垂れは見応えがある。(3月12日撮影)







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紅葉巡り(2012・12)

今年の紅葉は1週間程早かったようで、丁度紅葉時期に台湾旅行をしたので、彼方此方周れなかったが、京都の隠れスポットの幾つかを巡りました。そんな一コマを紹介します。

円通寺

Img_0001 京都の北、国際会議場から徒歩30分程の洛北幡枝の地に密やかに佇む、比叡山を借景とした枯山水平庭で知られる大悲山と号す山寺。江戸時代初期(1639)後水後天皇が造営の幡枝離宮の跡で幡枝小御所とも呼ばれる。1本のモミジが比叡山を借景に輝いていた。11月26日撮影。

勧修寺

Img_0002 昌泰3年(900)醍醐天皇の創建で”氷室の池”を中心とした池泉庭園で、平安時代にはこの池に張る氷を宮中に献上し、氷の厚さによってその歳の五穀豊凶を占ったと云われる。書院の前庭にある灯篭は水戸光圀公の寄進で”勧修寺型灯篭”と云われる。観音寺を背景に真っ赤に萌える紅葉が素晴らしかった11月26日撮影。

日向大神宮

Img_0003 蹴上浄水場と大通りを隔てた所に”日向大神宮”の石碑があり、その坂道を20分程登った山中に在り、古くから”京の伊勢”と呼ばれ勢神宮と同じ神明造りの社殿がある紅葉の素晴らしい穴場スポットだ。平安前期の清和天皇の勅願によって天照大神を粟田山に勧請した事に始まる。観光客の多くが近くの南禅寺、永観堂方面へ流れるので人も少なく静かに紅葉を楽しめた。11月26日撮影。

南禅寺

Img_0004 文永元年(1269)亀山天皇の離宮として創建され、正応4年(1291)臨済宗南禅寺派大本山として南禅寺と改められた。少し盛りを過ぎていたが紅葉の名所で観光客でごった返していた。方丈入口手前に夕陽を浴び枝を突き出していたモミジ。11月26日撮影。

円光寺

Img_0006 慶長6年(1601)徳川家康は国内教学の発展を図る為下野、足利学校第九代学頭・三要元佶禅師を招き、伏見に円光寺を建立し、学校とした。その後相国寺山内に移り、さらに寛永7年(1667)現在の一乗寺に移転した。

知恩院

Img_0005 全国に7000余りの寺院を擁する浄土宗の総本山。山号は華頂山。法然上人が晩年過ごされ念仏の教えを説いた寺。江戸時代元和7年(1621)二代将軍徳川家忠が三門を建立。寛永16年(1639)徳川家光公が御影堂を建立する等して現在の寺が形作られた。円山公園からこの一帯は紅葉が一杯で丁度料理旅館“井雪”から大鐘楼へ続く道が美しかった。

瑠璃光院

Img_0007 八瀬は平安時代の昔、貴族や武士に愛された保養地だった三条実美公が命名の茶室”喜鶴亭”のある敷地12000坪の敷地に延べ240坪に及ぶ数寄屋造りがあり、庭園は佐野籐右衛門一統の作。見事な紅葉だった。

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梅雨の花々(2012・7)

この季節は連日蒸し暑さと降雨で外出するのも億劫だ。しかしこの季節だから見られる景色もあるのだと一念発起し梅雨花の名所を散策してきました。そんな一コマを紹介します。

矢田寺(金剛山寺)

Img_0003 1300年前大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱の戦勝祈願をし、戦勝したので七堂伽藍48ヶ所坊を造営し、天武天皇の勅願寺となった。奈良の矢田丘陵に建つ別名”あじさい寺”とも言われ本堂前に60種類8000株の紫陽花が見事だった。紫陽花苑の参道は細く、人がすれ違うのがやっとだが風情がある。

山田池公園

Img_0002 枚方市にある大阪府営公園だが公園の北寄りに山田池があり、水生花園には花菖蒲、紫陽花、スイレン等が、花木園には梅、桃、百日紅等四季の花木が植えられている。6000株の花菖蒲、3500株の紫陽花が見事だった。野鳥の生息地である為が野良猫が多いのが気になる。

梅宮大社

Img_0001_3 桂川近くの梅津に鎮座する。梅津は王朝時代貴族の別荘地で源師賢の山荘もその一つ。大納言源経信が百人一首で”夕ざれば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く”と詠んだ。師賢の山荘に招かれた時、アシで葺いた”芦のまろや”の名残が梅宮大社神苑の咲耶池にある。嘉永4年(1851)築で現在は”池中亭茶室”として残っており、茶室に架かる橋を背景に撮った。

藤の森神社

Img_0001_2 平安遷都以前に鎮座する古社。この神社は菖蒲の節句発祥の地として知られ節句に飾る武者人形には藤の森の神が宿ると伝えられている。更に菖蒲は尚武に通じると云われ勝運を呼ぶ神として信仰を集めているそうだ。参道西側と本殿北側の紫陽花苑には3500株の紫陽花が植えられており薄紅、薄紫、青、紅と日々色が変わると言われるがやや盛りを過ぎていた。

哲学の道

Img_0005 東山山麓の若王子橋から銀閣寺橋までの約2kmの疏水辺りの道を”哲学の道”と云い、沿道に植えられた約300本の”関雪桜”が有名だが最近沿道に小洒落たレストラン、喫茶店、小物類を扱う店が増え四季を楽しめるよう、いろんな花を植えている。本来は大豊神社の紫陽花、白沙村荘の花菖蒲が目的だったが何れも時期を失しており、思いがけなく美しい紫陽花に出会った。

平安神宮

Img_0002 平安遷都1100年を記念し明治28年(1895)に創建された社殿は平安京大内裏の朝営院を3分の2に復元したもので、平安京をしのばせる佇まいだが、その背後にある約一万坪の神苑も見事だ。池泉回遊式庭園で紅枝垂れが有名だがこの季節は花菖蒲が美しい。受付では見頃と云うが既に枯れかけており、スイレンの花が浮かんでいた。

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春爛漫(2012・4)

今年も桜を求めて彼方此方散策したが例年より1週間程遅いようで、10日過ぎ頃から一斉に花開いた。そんな桜スポットの一部を紹介します。

元興寺世界遺産

Img_0001 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の仏教寺院である法興寺が前身。平城京遷都に伴い奈良へ移築し元興寺となった。極楽坊禅室・本堂に葺かれた飛鳥時代の日本最古の屋根瓦を背景に7分咲きの桜を撮った。この時期奈良公園の桜は漸く開花し始めたばかりで、早咲きで有名な氷室神社の枝垂れも5分咲き程度だった。(4月6日撮影)

横浜ランドマーク・タワー

Img_0002 横浜みなとみらいの中核をなす高さ296・3m、70階建ての日本一高い超高層ビル。1993年開業でホテル、オフイス、ショッピングモールを核に展望フロアーや多目的ホール、更に石造りのドッグを復元した広場など多彩な施設を併設した建物。ほぼ満開の桜が咲き誇る桜通りからタワー棟を見上げた。(4月8日撮影)

ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタル・ホテル

Img_0003 1991年インターコンチネンタル・グループの日本初進出となったホテル。海に浮かぶヨットの帆をイメージした外観で高さ140m、地上31階建ての建物は”みなとみらい” のシンボル。ボートが海べりを走っている景色が素晴らしかった。(4月8日撮影)

横浜マリン・タワー

Img_0004 山下公園に隣接し、かっては灯台として機能していた高さ106mの横浜港のシンボル・タワー。横浜港を象徴するモニュメントとして1961年に建設された10角形(一般に8角形が多い)のスタイルは何処から見ても同じ形に見える灯台を意識したデザインに人気があった。開港150周年を記念して2009年5月にリニューアルされたタワーを遠望した。(4月8日撮影)

建長寺

Img_0005 臨済宗建長寺派の本山で鎌倉五山の第一位。北条時頼が建長5年(1253)に宋から高僧蘭渓道隆(大覚禅師)を招いて創建した我が国最初の禅寺。蘭渓道隆はその後京都の建仁寺、甲斐の東光寺等へ移り、1278年再び建長寺に戻った。”建長汁”(けんちんじる)は建長寺発祥の料理。本堂に続く参道の桜が見事だったが少し盛りを過ぎていた。(4月9日撮影)

円覚寺

Img_0006 臨済宗円覚寺派の大本山で鎌倉五山の第2位。文永、弘安の役の戦死者を慰霊するため北条時宗が無学祖元(仏光国師)を招いて弘安5年(1282)に創建。境内には国宝の梵鐘舎利殿等がある静かな寺で、桜は余り多くはないが満開だった(4月9日撮影)

光明寺

Img_0007_2 浄土宗の大本山。寛永元年(1243)北条経時公の帰依を受け浄土宗三祖然阿良忠上人により開創。その後北条時頼公を始め歴代執権の帰依を受け七堂伽藍を整え関東の念仏道場の中心となった。本堂横の枝垂れ桜は散っていたがソメイヨシノが満開だった。

東寺 (世界遺産

Img_0008 平安遷都の際に国家鎮護の為、羅城門の東に建立された寺院。弘法大師空海に下賜されてからは真言密教の根本道場として栄えた。五重塔は天長3年(826)弘法大師の創建着手に始まるが4回の火災に会い現在の高さ55mの塔は寛永21年(1644)徳川家光寄進によるもので日本古塔中最高の塔。国内最大の八重枝垂れ桜、不二桜を始め多くの桜が満開だった。(4月12日撮影)

車折神社

Img_0009 平安末期の儒学者清原頼業を祀る神社で境内の芸能神社は芸能人の信仰が篤い。王朝文化を再現した5月の“三舟祭”で知られる。画家富田渓仙が奉納した”渓仙桜”、春の香りが漂う”匂い桜”等が楽しめる早咲き桜で有名な所だが一部葉桜になり盛りを過ぎていた。(4月12日撮影)

京福電鉄側線

Img 大正15年3月京福電鉄北野線の全線開通を記念して鳴滝駅~宇多野駅間約200mの側線に約70本のソメイヨシノを植栽したもの。通称”嵐電桜のトンネル”と呼ばれ桜の時期には週末のみライトアップされる。(4月12日撮影)

嵐山

Img_0010 平安時代、貴族の別荘地として栄えた所で大堰川に架かる全長155mの渡月橋は嵐山の象徴でもある。渡月橋から上流を眺めると全山桜で覆われ下流の亀山公園は満開だった。嵐山の桜は日本の桜100選に選ばれているが素晴らしい。松尾大社から渡月橋に至る桂川縁の桜も満開だった。(4月12日撮影)

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紅葉あちこち(2011・12)

今年の紅葉は10日程遅いようで、又未だ青葉が残っている段階で既に葉が縮んだりして美しさは今一だった。例えば11月26日奈良公園からモミジの名所・正暦寺をハイキングしたが山全体が一部枯れかかった紅葉だった。そんな中、京都の彼方此方を彷徨ってきましたので駄作の一部を紹介します。

円山公園

  Img_0010 元々は八坂神社の一部であったが、明治維新以降、国に納める形で分離され明治19年(1880)開設された市最古の公園。回遊式日本庭園が特に美しく、枝垂れ桜や800本のソメイヨシノで有名だが紅葉スポットも結構あるものだ。11月29日撮影

知恩院

Img_0008_2 全国に7000余りの寺院を擁する浄土宗の総本山。法然上人が晩年過ごされ念仏の教えを説いた寺。江戸時代元和7年(1621)二代将軍徳川家忠が三門を建立、寛永16年(1639)徳川家光が御影堂を建立等によって寺の風格が整った寺で紅葉スポットも多い。11月29日撮影。

長楽寺

Img_0002 平安時代の延暦24年(805)桓武天皇の勅命によって伝教大師を開基として観世音菩薩を本尊として創建された。創建当時は円山公園を殆ど含む広大な寺域だったが東大谷廟の建設に伴い幕府から割かれた。平清盛の娘・徳子(建礼門院)が髪を下ろした寺でもある。相本堂周辺の紅葉が素晴らしいが未だ3分程度だった。11月29日撮影。

高台寺

Img_0003 豊臣秀吉の正室・北の政所(高台院)が秀吉の冥福を祈る為建立した寺院。徳川家康の多大な財政的援助で寺は壮観を極めたと云うが、その後の火災で多くを失った。桜の季節は枝垂れ桜が美しいがライトアップされた紅葉は幻想的だ。11月29日撮影

毘沙門堂

Img_0005_2 寛永5年(1605)後陽成天皇の勅により徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ天海大僧正,公海大僧正に至って再興された。山科疏水から北へ進んだところにある天台宗五門跡の一つとなった古刹でこの春桜の景色を拙ブログで紹介したが紅葉も素晴らしいところだった。12月2日撮影。

双林院(山科聖天)

Img_0006 毘沙門堂塔頭の一院で毘沙門堂と同年に建立されたようだ。当初本尊には湖東三山の西明寺より迎えた阿弥陀如来を安置していたが、後明治元年に聖天堂を建立し大聖歓喜天を本尊としている。毘沙門堂の裏から降りる坂道から眺める紅葉が素晴らしかった12月2日撮影。

御陵・天智天皇山科稜

Img_0004 琵琶湖疏水を抜ける道を下がった所に在る。大化の改新で有名な中大兄皇子(天智天皇)の墓で考古学上は”御陵野古墳”と呼ばれる。御陵の入り口にあるモミジが美しかったので撮ったが紅葉の名所とは言えない。12月2日撮影。

宝厳院

Img_0007 臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院で寛正2年(1461)室町幕府の官領・細川頼之公により天龍寺開山夢窓国師の大三世法孫聖仲永光禅師を開山に迎え創建。庭園は室町時代に中国へ2度渡った策彦周良禅僧による作庭で嵐山を巧みに取り入れた借景庭園で門前の”嵐山羅漢”の紅葉が美しかった。12月5日撮影。

車折神社

Img_0009 平安時代後期の学者・清原頼業を祀る後嵯峨天皇が社前を通りかかった際、御車のかなえが折れ神意を畏れてこの名がついた。商売繁盛の神様で桜も美しいが紅葉の名所でバスで観光客が来ていたのに驚いた。境内にある芸能神社は芸事の神様として多くの芸能人が周囲の玉垣に名を記していた。12月5日撮影。

鹿王院

Img 足利義満が康歴2年(1380)宝憧寺の塔頭として建立。本山は衰退しこの一院だけが残った。京都十刹第五の名刹。京福電鉄(嵐電)車折神社の一駅嵐山寄りにある隠れた紅葉の名所だろう。苔生した庭園が美しく参道を覆うモミジが素晴らしかった。女性専用(¥4500)の宿坊もある12月5日撮影。

ホテル嵐亭

Img_0001 京阪電鉄の子会社京都センチュリーホテルから森トラストが11月25日買収した名門料理旅館。明治期に造営された建築物を残し伝統と格式を継承しながら再生すると云うが京都人にとっては寂しいことだ。あの美しかった日本庭園の紅葉も盛りを過ぎ、僅かに入り口のモミジだけが残っていた。12月5日撮影。 

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